あの一件以来、少し怖くなってしまったものがある。
「……っ」
吐こうとした息を飲み込んでしまう。
体が強張る。
鳥肌が立つ。
ショッピングビルの宝飾フロア。
ショーケースの中できらきら光るアクセサリー。
女の子が好きだったり、憧れたりするもの。
輝く宝石。
思い出してしまう。
人の形をした大きなアメジスト。
腕や背を覆ったガーネット。
思わず目を逸らすと、手を引かれた。
「エレベーター、あっち」
エレベーターを待つよりも、フロアを通り抜けてエスカレーターを使った方が早いのに。
(気ィ遣われてしまった……小学生相当に……)
エレベーターのドアが閉じたと同時に、手を繋いだまま彼女は口を開いた。
「真木原かず美にギフトで石にされた人たちは回収されて、許可もらって施設の研究棟にいった一部以外はほとんど遺族の手に渡ってる。流石に研磨されたときに粉末状になってしまった部分は回収できなかったけど」
「そう、ですか」
「他に同じような能力を持っている人がいないとも限らない、といえばそうだけど……一応僕たちが関与した件については全部終わった。もう、大丈夫だよ」
彼女がそう言うのなら、本当に大丈夫なんだろう。怖がる必要なんてない。
それはわかっている。
それでも、未だに目の前で起きたあれを忘れられない。
映画やドラマやアニメじゃない、この目で見た光景を。
「考え直した方がいいんじゃない? キャプターになるの」
上がっていく数字を見ながら彼女は言う。
「きみはあまり表に出さないけど、観察眼が鋭い分感受性も強い。ましてギフトがギフトだ。技能的に適正はあるのは認める、でも正直、きみには荷が重いと思う」
「……それを貴女が言いますかね」
動物が、虫が、植物が好き。
大きい小さいに関わらず命を尊び、死を悼む。
本当なら甘えたい盛りだっただろう頃に、家族から引き離されて、失って。
今たった十一歳の貴女が、最後にその歳らしく笑ったのはいつだった?
「もう決めたんですよ、貴女の犬になるって。浄円寺さんだけじゃ足んねーでしょ、右腕があるなら左腕もないと」
「私の為にきみが人生を棒に振る必要はないよ、秀平くん。それにきみは犬というより猫だ」
「猫だって獲物持ち帰ったりするんですよ、セミとかモグラとか」
「それって団子が持って帰ってくるの?」
実家の猫。どうだったかな。
「昔ゆーまが枕元にトカゲの死体があったとか言ってたけど、ここ十年くらいは外に出してないはずだから聞きませんね」
「ふふ、そっか、そうなんだ。……猫、そうだね、悪くない。猫は好きだよ。きみは……黒猫、ってところか」
「ちょっと安易じゃないですか、確かに服黒いの多いですけど」
「それだけじゃないよ。黒猫はね、甘え上手で賢いんだって」
目的の階に着いてドアが開くと、繋いだままの手がまた引かれて。
「本当に、一緒にいてくれるの?」
エレベーターから出て一歩先に立ち、止まって言った小さな声は、ちょっとだけ不安そうに聞こえた。
そうだよな、強いわけない。そう見せかけてるんだから。
「はい」
「キャプターは、危ないよ」
「知ってます」
「殺されてしまうかもしれない」
「俺運がいいからそう簡単に死にませんよ」
「庭付き一戸建て持ちの二児の父になるんじゃなかった? 平和な家庭なんて望めないよ?」
「多少刺激的なのも悪くないです。家庭は……謠子さんが俺のこと婿さんにしてくれれば解決する話でしょ」
「……全く、」
溜め息が聞こえた。
「子ども相手に何言ってるんだか!」
振り返って笑う顔は、やっぱり十一歳の女の子らしからぬ人を食ったような――やっぱり浄円寺さんに似てる。まぁ嫌いじゃないんだけど。
「十年以内には結婚できる歳になるじゃないですか。まぁ、最大の難関はあのおっかないおじさんだけど」
「まさかそれ本気で言ってるんじゃないよね?」
「謠子様が成人するまでに彼女できなかったら宜しくお願いします」
「早くいい人できるよう祈っておくよ。……あ、」
歩き始めたと思ったら、また立ち止まる。
「フロア間違えた」
そう、
普段俺の何倍も、何十倍もしっかりしてる彼女だって、完璧なわけじゃない。
「ついでだからちょっと見てっていいですか、そろそろ新しい上着欲しい」
小さい手、指先がカサついている。そういえばお屋敷を出る直前まで大量の書類と戦ってた。
「あと本館でハンドクリーム買いたいです」
他に何がいるかな、疲れがとれそうな、入浴剤とか?
「ねぇ、目的わかってる? 忘れてない?」
「忘れてねーですよ、クソヤクザおじさんのおつかい注文してたワイシャツ六枚ー」
「……怒ってる?」
「んなわけねーでしょ」
俺はあの人の補佐ぐらいしかできねーけど。
何を目的に、何を相手取ろうとしているのかは、今んとこわかんねーけど。いや、何となくはわかるけど。
まぁ、それについてはそのうち、気が向いたら話してくれりゃいいし。
危険だらけだなんてわかってるし。
「巻き込まれたって構わない」って、何でか思っちゃうし。
「最高に可愛いお嬢さんとデートできる口実作ってくれたんだから感謝こそすれ。お土産羊羹でいいですかね」
「トダくん平田くん大好きだよね」
「戸谷ですよ謠子様」
だから、ついて行かせて下さい。
怖いって思っても、貴女の「守る」「大丈夫」って一言で、何とかなるって、乗り越えられるって信じられるから。
<了>
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とても怖い思いをしたはずなので、若干トラウマになってるんじゃないかなというのと、謠子によるその簡単なアフターケア、及び改めての決意を
戸谷は仲良しでいて自分の性質を、能力を、存在を、認めて上手く使ってくれる謠子のことを年下ながらに尊敬しており、同時に年端もいかない彼女が危うい立場にいることを案じて「何か力になれれば」と傍にいます
兄妹以上、恋人未満
そういう関係です