今は昔、十八年近く前。
竹取の翁――はいなかったけれども、
「おかーさん、ひかりちゃん! あかちゃん! あかちゃんがいる!」
竹やぶで、捨てられている女の赤子を発見した男の子ならいた。
第零話
「おい、起きろ赫夜(かぐや)」
「んーっ……」
「今日はっ、」
掛け布団を剥ぐ。
「学校っ、」
毛布に手をかける。
「行くんだろっ!」
毛布を引っぱるが、
「やだーさーむーいー。何すんだよミカ!」
下は下で必死に阻止する。ミカ――壬廉(みかど)は、一旦力を緩める。
「起きろっつってんだよ。おれが寝るんだからとっとと布団から出ろ!」
「やだー今日休むー」
「誰が学費払ってると思ってんだよ。このっ、」
二度目のチャレンジ。
「ごくつぶしの登校拒否児がっ!」
無理矢理毛布をは剥ぎ取られて、同時に、赫夜はベッドから転げ落ちた。壬廉は痩せているくせに意外に力がある。
赫夜はじろりと睨んだ。
「別に登校拒否じゃないもん学校好きだもん。ただ行くのがめんどくさいだけだもん」
「それが登校拒否ってゆーんだよ。『登校』を『拒否』する、だから『登校拒否』。日本語わかってんのか、えぇ、コラ。若者の学力低下は益々もって深刻だな」
「『若者』って……あんた、それ、二十三歳の言葉じゃないよ……」
「黙れ未成年。文句があるなら稼げるようになれ」
うるさそうに、赫夜は身を起こす。
「いいじゃん別にぃ、進学するわけじゃなし。わたしは将来フリーターでもいいんだからさぁ。ミカなんて大卒のくせにホストなんかやってるじゃん。学歴なんかアテにならんっしょ」
「フリーターはいいからせめて高校は卒業しろ。じいちゃんの遺言だ。じゃなきゃおれが祟られる」
「ああ、じいちゃんじゃ祟るね。間違いなく」
ふと、振り返ると、壬廉はもう布団にくるまっていた。小さな丸いテーブルの上には、トーストと目玉焼きとサラダ、赫夜が好きな手作りのカボチャのスープが用意されている。壬廉は偉そうな名前で優男のくせに、結構マメな男だ。家事は全部見事にこなすし、料理なんかは赫夜より上手い。手先が器用なのだ。
朝食をもそもそと食べていると、壬廉が布団の中で言った。
「うまいか」
赫夜がものを食べていると、いつも言う言葉。昔からこんなだ。赫夜の生い立ちのせいか、気にして甲斐甲斐しく面倒を見ている。
「うん。うまいよ。ミカの料理は世界で二番目にうまい」
「二番目かよ」
「一番はばあちゃんだもん。師匠には勝てまい」
「……ああ、そりゃあ、勝てねえな」
優しかった祖母。お嬢様だったという彼女は、お嬢様の割にすごく家庭的だった。
「もう、勝てないよな」
壬廉はぽつりと呟いた。
「何も娘二人と娘婿と一緒に逝かなくてもいいのに。身内がいっぺんに四人も死ぬって、結構不幸っていってもいいよな、おれ」
赫夜は笑う。
「まあ、そう言いなさんな。わたしなんて実の親の顔も知らないんだよ。生きてるのか死んでるのかもさ」
「その割に淡白だよな、おまえ」
「そりゃ、あんたもさ」
そう。
赫夜も壬廉も、結構不幸な身の上といえる。
壬廉は三年前、旅行に行った両親と祖母、そして叔母をいっぺんに亡くした。当時大学二年生だった彼は、せっかく入学したのだから卒業したいと自力で学費をどうにかするために水商売のバイトを始めた。それが長じて今では立派なホストだ。
赫夜は元々両親を知らない。赤ん坊の頃、竹やぶに捨ててあったのを、壬廉の叔母の飛雁(ひかり)に引き取られた。それでつけられた名前が「かぐや」。本人は安易だと嫌っているが、名は体を現すというやつなのか、結構な美少女に育った。が、その養母の飛雁も、壬廉の両親と祖母とで行った旅行の途中、交通事故で死んでしまった。
残されたのは、ものすごくガサツで豪快な祖父と、外見と口調にそぐわず几帳面な壬廉、そして出生の割にのびのび育ってしまった赫夜。
ところが、昨年祖父も病で他界してしまい、あっという間に壬廉と赫夜の二人きりになってしまった。本当にあっという間すぎて、あっけなさすぎて、哀しむ暇もなかったくらいである。
祖父の遺言は、結構長かった。
「赫夜、せめてちゃんと高校を出ろ。それまでミカ、おめぇが面倒見るんだぞ。うちの姫さまは一人じゃとてもじゃねぇが生きていけねぇ。何しろおれの孫だからな。いいか壬廉。ちゃんと赫夜を一人立ちさせろよ。じゃねぇと祟ってやるからな。絶対祟ってやるからな」
言い残すことなんかなかったのだろう。何しろ死に際のくせにやけに流暢に話したものだから、そのすぐ後に息を引き取ったのが嘘のように思えたくらいだ。
だからしばらく「じいちゃんが死んだ」という実感がなくて、赫夜と壬廉は三ヶ月くらいぼんやり暮らしていたのだが、今思えばちょっとうらやましいくらいの立派な散り際だった。そして――血の繋がりがないのに「孫」だと言って接してくれていたことが、赫夜にとってはとても嬉しかった。
そんなこんなで、元々住んでいた家と土地とを人に貸して、二人は育った家からほど近いアパートで暮らしている。
「お前さ、」
壬廉が布団から顔だけ出した。
「身内探そうとか、思わねぇのか?」
「別にィ。探した方がいいのかなぁ? 何、わたし養うのが嫌になった?」
「嫌といえば嫌だな」
「あはは、わたしがいると女連れ込めないもんねぇ!」
「まさにその通りだ。お前のせいで今まで彼女という彼女ができたことがない。だからさっさと高校を卒業しろそして一人立ちしろ」
若い男女の二人暮らしともなると、なってしまいそうなものだが、この二人はお互いにそういう対象には成り得なかった。何しろ幼い頃から一緒に暮らしている。戸籍上はいとこだが、実際は兄妹、いや親子のようなものだ。仲はいいが壮絶な喧嘩だってする。
赫夜はけらけらと笑った。
「まぁ、あと約一年待ちなよ。見事に羽ばたいてみせるからさ」
朝食を食べ終わって、食器を流しの洗い桶に入れると、玄関の呼び鈴が鳴った。応える間もなくドアが開く。
「姫ー。今日ガッコ行くー?」
近所に住んでいる学友・ななみのお迎えだった。朝陽を含むベリーショートの金髪が眩しい。
「よっ、ななちん。うん今日は行くよー。あれっ、やっちんは?」
「弥潮は今日日直だってさ。あいつ真面目だからねー、七時前に出てったよ」
「とても生活指導で注意ばっかされてるななちんと双子とは思えないね!」
「うるさいよ。あれ、ミカさんおはよーまだ起きてたの? もう寝たよー」
ななみの兄の太洋は、壬廉の親友で同僚だ。壬廉と一緒に水商売のバイトをやっていて、そのままずるずると引き込まれたらしい。それがなければ今頃普通のしがないサラリーマンだったはずだとたまに苦笑いしながら言う。
「太洋は寝付きがいいからなぁ。うちみたいに世話のかかる子がいないし?」
「あははははっ、そうねー。姫のお世話は大変っしょー。こら姫、早くしないと先行くよー?」
「待って! あと三分! ミカ、ブラどこピンクのやつ!」
「洗濯してねぇぞ。白と青の水玉のなら乾いてる、タンスの中。あ、帰りラクダ買ってきて、カートンで」
「禁煙はどうした」
「何それ知らん」
拾われた赫夜姫と、拾った壬廉。
彼らの日常は、まぁこんな感じである。
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この話を書き始めたのは、13年ほど前のことです。
元々『竹取物語』が好き というか、生まれ育った静岡県富士市にかぐや姫の伝承と縁の地があり、何となく馴染みのあるものだったというのと、それまで書いていた話がファンタジーばかりだったので「できるだけファンタジー要素を抜いた現代ものを書く練習がしたいなぁ」という、薄ぼんやりとしたところから始まりました。
書いている人が書いている人なので、ものすごくなまぬる~いお話ですが、少しでもお楽しみいただければ幸いです。