the Drop Down Sirius

日常・一次創作・その他ごった煮

Tinkle!/Ⅳ

 





 鈴音の鎮静化もかねて、平田は一旦飲み物を買う為に外に出た。そう離れていない場所に丁度自動販売機がある。車に一人残している鈴音を気にしながら、缶のカフェオレと小さいサイズのペットボトルのほうじ茶を買うと、足早に車に戻る。
「はい、コーヒーでよかった? あったかい方が落ち着くよね」
「ありがとうございます」
 受け取る手、小さなパールの粒で飾られた艶やかな薄桃色の爪が視界に入った。ジェルネイルが塗ってあるようだが短い。元々はもう少し長かったのかもしれない。今日の夕食の準備の為に、わざわざ短く整えたのだろうか。本当に出来た娘だ。

 それぞれ一口飲んで、息をつく。先程よりは、変な緊張はしない、感じられない。

 切り出すなら、今。

「……鈴音ちゃんは、何で俺が結婚しないって言ってるか、知ってる?」
「謠子ちゃんのことがあるから、と」
「うん。それもある。つーか、まぁ、それが一番の理由ではあるけど……ちょっと複雑なんだよ、ね」
 ペットボトルの蓋を指先でなぞりながら、言葉を選び出す。
「法的に俺が後見人、保護者だから、謠子のことは成人するまでは面倒見なきゃなんない。それで前、結婚ダメになったんだよね。付き合ってた彼女がさ、俺が謠子の面倒見てるの気に入らんって滅茶苦茶怒って精神病んじゃって、挙げ句の果てにはストーカー化。怖くなって婚約破棄して別れようとしたら相手の親が弁護士連れて出てきて、慰謝料払えって言うからね、払いましたよ、一括で。三百万」
 嘘は言っていない。どころか、盛ってすらいない。軽く話してはいるが、実際に過去に起こった「事実」だ。
「…………大変、だったんですね」
 いいぞ、その反応。平田は内心ガッツポーズする。
「そんで何もかも終わったーと思ったら、今度はその元カノ、ギフト出ちゃって。施設に行ったっていうから、もう二度と会わないだろってなるじゃん? 来たんだよ施設抜け出して。心病んでてギフト持ちってやべえからな、まァ暴れる暴れる。旦那様と奥様が対処してくれて無事施設に連れ戻して、今はちゃんと閉じ込めてあるらしいけど」
 ちらり。様子を窺う。

 鈴音は、少し笑っている。

(何で⁉)

 こんな話を聞いたら普通は臆するなりどん引きするなり、少なくともプラス方向の感情は抱かないはずだろうに。平田は少し焦りを感じた。
「鈴音ちゃん、あの、」
「その人、それだけ篤久さんのこと好きだったんですね」

(そっち‼)

 残念なことに、落ち着いたには落ち着いたが、彼女のときめきモードは終わっていなかった。

「そういうことじゃなくて! 俺自身も割と危険な目に遭ってるけど俺の近くにいると危ねえっつってんの! 謠子だってキャプターなんてやってるからアビューザーに接触するし、周りの人間が狙われることだってっ、」
「そんなことはわかってます」
「わかってねえよ! 喜久きくちゃんが殺されたのだって、犯人未だにわかってねえけど多分仕事絡みで」

 ふと気付く。
 そうだ、妹の喜久子が死んだのは。

「……喜久ちゃんはさ、今の鈴音ちゃんと、同じ歳で、死んでるんだよ」
 平田の言葉に、鈴音の表情が変わった――彼女もまた思い出したのだ。三人の姉たち全員と親しく、自分を妹のように可愛がってくれていた存在が、どんな末路を辿ったのか。
 俯く鈴音から目を逸らし、更に続ける。
「正直、鈴音ちゃんから好きって言われて嬉しくないわけじゃないよ。けど、……俺は、鈴音ちゃんを巻き込むようなのはちょっと、ていうか、だいぶ、結構、やだ」
 少し、間を置いてから、
「私は、構いません」
 鈴音は静かに、きっぱりと言った。平田は呆れる。
「鈴音ちゃんがよくても俺はよくねんだよ」
「貴方がよくなくても、私はいいんです」

 少し、悩んだ。
 しかしカードとして使うと決めたからには、出さねばなるまい。

「そもそも。鈴音ちゃんは姉ちゃんたちと違って武菱の駒として動く必要ねえだろ」

 鈴音は、きょとんとしていた。そのことを知らない――のか。
 かと思うと、

「私が養子だから、ですか」

 事も無げにさらりと放った。平田は思わぬ展開に言葉を返せず、ぐ、と詰まる。知っていた。
「そんなの関係ないですよ。それに私、確かに武菱政孝の養子ですけど、ただ法的に認知されていなかった非嫡出子なだけだから、血の繋がりがないわけじゃありません」
「へっ」
「父はご存じの通り母に頭が上がらない人ですから、私と私を産んだ母のことを知られるのが怖くて、金銭的援助をしてくれてはいたんですが認知というものをしていなかったんです。でも、私の母――あ、産んだ方のですね、が、ガンになって進行が早くて死んでしまって」
 淡々と語られる鈴音の過去、そしていつも自分によくしてくれている気さくな父の友人の意外な一面に、平田は絶句した。あのおっさん、愛人なんていたのか。
「母の葬儀の直後は大変でしたね。武菱の母と姉たちが、何でちゃんと認知してなかったんだって寄ってたかって父を責めて、かと思ったら責任取ってうちで育てるんだって手続きもどんどん済ませちゃって。五歳になる少し前だったんですけど、強烈だったのでよく覚えてます」
「あぁ……」

 合点がいった。

 だから読み間違えた・・・・・・・・・のだ。

 通常、ただの婚外子であれば、戸籍に母の名は記載されても父親の名は空欄になる。そして、父親から認知をされれば、父親の名も記載され、父親の戸籍には認知をしたという記録が残される。しかし鈴音の戸籍には生母と養父母の名しかなく、政孝の戸籍にも認知したという旨は書かれていなかった――ただの養子、血縁関係などないようにしか見えなかった。

 武菱政孝から鈴音との縁談を持ち出されてから一週間足らずしか経っていない=時間が少なかったことと、なるべく早く決着をつけてしまおうという焦りから、ちゃんとした調査をしていなかったのが裏目に出た。
 本来ならば娘を危険なところへ嫁がせるなど反対するはずだし、浄円寺家との繋がりならば現状だけでも充分だ。しかし恐らく、政孝は鈴音に対して我が子への愛を持つと同時に、認知をしなかったところからくる負い目を感じているのだろう。ゆえに鈴音が平田の元へ嫁ぎたいと言い出したのを止められなかった、といったところか。

 これは、使えないカードだ。

 溜め息をついて落胆していると、鈴音はにこり、微笑んだ。
「出してくるかなーとは思ってましたけどね、それ」
「……読んでたのか」
「当たり前じゃないですか。相手は浄円寺データバンクのハッカー兼情報商人。何の対策もしないで立ち向かう程私もバカじゃありません。戸籍周りのことはちゃんと確認済みです。幸い母と姉たちも味方してくれましたしね」
「あー……そっか小母おばさんとねーちゃんズ……くそォ盲点……」
 そういえば政孝の妻も上の三人の娘たちも鈴音のことはとても可愛がっており、おまけに全員気が強い。真相を知る彼女たちの後押しもあったのだとすれば、立場の弱い政孝が逆らえようはずもない。
 流石は名門女子校の万年首席、平田は舌を巻いた。姪の謠子もひどく頭が回る娘ではあるが、年齢の分人生経験の多い鈴音の方が機転がきくのだろう。謠子よりも扱いづらい、と身に染みて思った。これでは言いくるめるのも至難の業だ。
「……そっちはそれで、いいかもしんないけど。俺だって浄円寺の人間としての価値がねえんだよ」
 しかし破談を諦めるつもりはない。
「謠子が帰ってきたときに、俺が相続した財産も権利もほとんど謠子に譲っちまったからな。名実共に“浄円寺篤久”はいなくなったも同然。俺と一緒になったところで意味がない」
「もう、だからそんなの関係ないんですってば!」
 鈴音は膨れながら平田を睨んだ。
「私が! 貴方に嫁ぎたいと望んだんです! 家の繋がりがどうとかいうのは、父を納得させる口実に丁度いいから利用しただけで! だから縁談として成り立ってないとか、危険だとか、そんなのはどうだっていいんですっ!」
「いやよくねえだろ!」
「私は貴方のことが好きだから、ずっとずっと好きだったから頑張ってきたんです! 勉強も、運動も、家事も、何かの役に立てたらって資格もいっぱい取りました! 貴方の横に立つのに相応ふさわしくなれるように! 貴方が今まで付き合った人や世利子よりこさんや他の女性ひとじゃ太刀打ちできないくらいになれるように! 十七年間ずっと!」

 気圧けおされた。

 声も、表情かおも、言う程迫力があるわけではない。如何せん可愛らしいお嬢様だ。
 しかしその言葉は重みがあった。超弩級の重量の感情が、全身を打ってくる。

 彼女が己を磨き続けてきた理由。
 その全てが、他の誰でもない、自分に向けられた気持ちだっただなんて。

「篤久さんは自分や謠子ちゃんの傍にいたら危険だって言うけど、万が一貴方に何かあったら謠子ちゃんはどうなっちゃうんですか⁉ 何で全部一人で抱え込もうとするんですか! 何で私にも助けさせてくれないんですか!」
「ひ、一人じゃ、ないし、秀平もいるし」
「あんな人何の助けになるって言うんですか私より弱いし頭もよくないじゃないですか!」
「お、おう……」
 昼間秀平から聞いた嫌われているという言葉を思い出した。冗談だと思っていたが、まさか本当に嫌っていたとは。おいボロクソ言われてるぞ秀平、と今この場にいない後輩に向けて、心の中で言葉を投げ掛ける。
「貴方が、謠子ちゃんのことを第一に考えてる、そんなことはわかってます」
 鈴音の目が、真っ直ぐ、平田を見据えた。
「こっちを見てほしいなんて……ちょっと、ほんのちょっとはっ、けどっ、でも、だからって、謠子ちゃんのこと憎いとか、そんなこと思ったりしません。貴方の大事な、守るべきものです。一緒に守らせて下さい。私は私が持つものを、貴方の為に使いたい。そう思って積み重ねてきたんです。……私を、利用していただけませんか」
「…………重い。愛が重いよ鈴音ちゃん」
 思わず吹き出してしまった。鈴音はむっとする。
「私は真面目に言ってるんです!」
「わかった、わかってるよ。だからさ、……もう一つ、ダメな理由を教えてあげる」
 ジャケットの内ポケットから、使い捨てライターを出す。

 双方沈黙した車内、カチ、と響く点火の音が、妙に大きく聞こえた。

 立った小さな火柱は、ゆらゆら揺れながら徐々に姿を変え、蝶のような形をとって宙に浮く。火の蝶は、そのまま二度三度羽ばたくと、ふっと消えた。

 その間、十秒足らず。
 鈴音の大きな目が何度もしばたたいた。熱くなった吹き出し口に息を吹きかけ冷まし、ライターを見つめながら、平田は小さく、言った。
「俺が生まれたときから持ってる力。これがバレたら、施設送りになる。そんな危うい立場なわけですよ、きみが好きだと言ってる男は」
 しかしやはり武菱鈴音は強かった。
「バレなきゃいいじゃないですか」
 さっくり言われて脱力する。
「そうだけど!」
「今までバレずにきたんでしょう? だったらこれからだって大丈夫ですよ」
「いや実は一度だけバレたことあるんだよね」
「案外詰めが甘い人ですね」
「鈴音ちゃん結構言うよね?」
 溜め息が出た。勝たなくてはいけないのに勝てる気がしない。この娘、おとなしそうな顔をして、意外と気が強い上に弁が立つ。
 たおやかしたたかなる目の前の強敵は、
「それよりいいんですか? 私にそんな大変なこと教えちゃって。バラされたくなければ、なんて脅迫しちゃうかもしれないのに」
 よくある言い回しをしてきた。それはきっと自分でもわかっているし、返ってくる言葉も予測しているのだろう。何だか少し悔しくなった平田は、散々やり込められた仕返しに、
「しないでしょ、そんなこと」
 顔を近付けてにや、と笑う。と、
「あふゃっ」
 案の定何とも言えない悲鳴を上げて、鈴音はたじろいだ。暗がりでわかりにくいが、さぞ赤面していることだろう。面白いな、と思いつつも、結果的に鈴音を喜ばせてしまっているのであまり多用しない方がいい気もした。すっと身を引く。
「まぁ、でもやっぱり、俺は結婚できないよ。相手が誰でも」
「謠子ちゃんに悪いから?」
「さっきも言ったろ、相続したもんほとんど謠子にやっちゃったって。俺の名義のものなんて、この車とちっちゃいボロアパート一つとアンテナ張るのに使ってるキャバ二軒ぐらいなもんだ。あの屋敷だって謠子名義になってんだぞ、俺実質居候いそうろうだぞ、そんな状況で嫁さんなんか」
「謠子ちゃん『気にしない』ってこの前言ってましたよ」
「結託すんなよ小娘ども!」
「ふふ、ふふふ」

 静寂に。
 金色の小さな鈴が転がるような笑い声。

 遠く見える夜景の光と共に、きらきらと。

「完全に望みはない、ってわけじゃなさそうですね」
 はっと我に返り、エンジンをかけてシートベルトを締める。
「ねえよ! 第一俺の気持ち無視してんじゃん!」
「嬉しくないわけじゃないって、さっき言ってました」
「そらそうだろ若くて可愛いしかも超有能な女の子から熱烈プロポーズ受けてんだぞ」
「案外俗っぽい人ですね」
「うるせえ悪かったな。帰るよ、シートベルトして」
「はぁい」



 今回の戦は負けてしまった。完敗だった。
 もっと、ちゃんと、鈴音を説き伏せられる材料を探さなければならない。そう平田は決意したのだが――


『一緒に守らせて下さい』


(……アヤはそんなこと、)

 結局自分は、謠子のことばかり考えている。苦笑いが漏れた。
「姪のことしか考えてねえ奴が、なんて、無理に決まってンだろ」
 鈴音を送り届けて帰る車中、呟くが、
「…………くそ」

 先程見た笑った顔が、聞いた声が、何故だか頭から離れない。

(だから、ねえっつってんじゃん!)

 振り払うように、平田はアクセルを踏む足に少しだけ力を込めた。



     〈つづく〉



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 おっとどうした落ちるのか!?

 それとも持ち直すか!?

 油断するべからず、敵は強いぞ!





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中の人

HN:
半井
性別:
女性
職業:
ごはんをつくるヒキコモリ
趣味:
なんかかくこと
自己紹介:
チーズと鶏肉とまぐろとホタテでホイホイ釣られるチョコミン党員しょうゆ厨
原産:駿河国
生息:隠の里

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