the Drop Down Sirius

日常・一次創作・その他ごった煮

J-record -The beginning-








 浄円寺清海・叶恵夫妻の葬儀の折、大好きだった祖父母にも関わらず、当時八歳のシーゲンターラー謠子は涙ひとつ流さなかった。
 もうそのときには既に、彼女の戦いは始まっていたのだろう。



「明日迎えに来て」
 約三ヶ月ぶりの第一声。エリュシオン――特殊能力・ギフトを持つ者が入る施設にいる姪の謠子から電話がかかってくることはたまにあったが、声色の違いに驚き、篤久は思わずスマートフォンの着信通知を確認した。間違いなくいつもの番号。
「聞いてる?」
 スピーカー部分からまた声がした。確かに相手は自分のよく見知った少女のようだ。
「……どうした、機嫌悪い? 何かあった?」
「別に。……仕事、だった?」
 元気がない、というよりも、何かがおかしい。
「いや……明日は、うん、大丈夫。施設の門のとこだよな、何時に行けばいい?」
「朝、九時ぐらい。あと銀行寄るから通帳とカードと印鑑持ってきて。僕のやつ。それじゃ」
 一方的に言うだけ言って、さっさと切ってしまった。また違和感。
(『僕』?)

 これまでは自分のことは「私」と言っていたはずだ。

(この何ヶ月かで何かに影響されて……)

 それはない。物心ついた頃から本が好きでよく読んではいたが、物語よりも図鑑や篤久の持っているコンピュータ関連の書籍を好んで読むような子だった。
 それよりも気になるのは――元気でいるのならと気にしないようにはしていたが、これまで月に一回は屋敷に帰ってきていたのに、ここ数ヶ月連絡もよこさずにいたことだ。しかも外出届を出して帰宅するときは必ず友人の戸谷秀平と一緒だったのに、口ぶりからするに今回は彼女一人だけらしい。銀行に寄るとも言っていた。ただの帰省ではないのだろう。
「…………何しようとしてんだよ謠子ォ」
 溜め息。
 妙な胸騒ぎがした。
 雨は降りそうにはないが、薄曇りだった。丁度あの日も――浄円寺清海とその妻叶恵の葬儀のときもこんな天気だったということを、玄関から出てから思い出す。

 車を小一時間程走らせて指定の場所まで迎えに行った篤久は、門から出てきた謠子の姿に絶句した。帰省時よりも多い荷物と――

「うたこ、なんだそれ、あたま」

 背まで伸びていたはずの金茶色の髪が、肩の上あたりでざっくりと切られていた。自分で切ったのか、お世辞にもきれいな仕上がりとは言えない。
「行こう」
 にこりともせずに謠子は大きなスーツケースを引いて歩き出した。篤久は慌てて謠子の手から荷物を預かり後に続く。
「ちょっ、……銀行行くっつったよな、その頭で行くのか?」
優真ゆうまくんに連絡してある。髪整えたりしてたら遅れちゃう。通帳と印鑑、持ってきてくれた?」
「う、んん、あぁ」
「確認させて」
 車に乗り込んでから、助手席に座った謠子に謠子名義の通帳とカード、印鑑の入ったポーチを手渡す。謠子は通帳を開いて残高をじ、と見つめた。
「これ、全部、僕個人のお金なんだよね」
 呟きに、エンジンをかけないままで篤久は隣の謠子を見据える。物心つかない頃に死んだ父母、そして二年前に死んだ祖父母から受け継いだ遺産は、とても十歳の少女が個人でどうこうしていい金額ではない。
「それはお前がこれから生きていく上で必要になるものの為に」
「だから、使っていいでしょ。僕が生きるのに必要なものを買うんだ」
「必要って、何を」
「力を買うの。……銀行、行って」
 静かな迫力に気圧けおされ、篤久は返す言葉が浮かばないままおとなしく車を発進させた。

 力を買う――恐らく謠子は、何らかの権利を買い取ったのだろう。それも、両親祖父母の遺産に手を付ける程に高額な。

 だとしたら、何の権利を?

 やっと年齢が二桁になったような子どもが?

 確かに謠子は、親譲りの頭脳を持っているのか同年代の児童と比べればずば抜けて頭がいい。元々好奇心旺盛な子ではあったが、特にギフト――構造の知識とそれを形作る想像力さえあれば無から物質を創り出すことができる『具現化』の能力に目覚めてからは、興味のあることはどんどん調べ、知っていくには必要なのだと学校で教わるような勉強も自ら進んでしていった。現在では高校生のテストに出る程度の問題ならば、すらすらと解いてしまう。

 篤久は、謠子がこのまま育っていけば、エリュシオンの中にある研究機関にでも入って職員として平和に過ごすのだろうと、そんなことを何となく、ぼんやりと考えていた。勉学に熱心な謠子にとって、生活の全てが保障され何不自由ないといわれるエリュシオンでのうのうと生きる「だけ」では物足りなく感じるだろうことはわかっていたつもりではある。
 しかし彼女はそんな予想を大きく超えて、まだ幼いうちから何かをしようとしている。大金を支払ってまで得ようとする「力」――生きるのに必要なのだと言っていた。

「……何、する気なんだ、お前」
 ずっと続く嫌な予感。昨夜謠子から電話がかかってきてから、謠子の祖父母の姿が警鐘か何かのように妙に頭の中にちらつく。しかしその問いかけに、謠子は黙ったままだ。
「何とか言えよ」
「……帰ったら、全部話す」

 今話すのでは都合が悪いのか。篤久は溜め息をつきながら眉をひそめる。
「後戻りできなくしてから明かすとか狡いぞ」
「わかってる。でも……こうするのが一番いいから……お願い、もう二度と、ワガママ言わないから」
 だんだん小さくなる声に、更に深い溜め息が出る。
「後で絶対全部話す。約束だからな」
「うん」
 そもそも謠子は本当に困るようなワガママなどほとんど言ったことがない。相当思い詰めているに違いないのだ。



 銀行でした入金は、一般的な注文住宅が一軒建てられる程の金額だった。振込み先はエリュシオン内のどこかの部署だったようだが、後でこっそり調べようにもエリュシオンに関する情報ではなかなか難しい。何しろ国家的な施設である為に、監視が厳しいのだ。インターネットを使って内部を探る――ハッキングは篤久の得意とするところではあるが、国相手にあまり無茶はできない。

 浄円寺邸へと向かう車中でも、謠子は口を噤んだままだった。
 嫌な静けさの中、途中でファストフードの店で昼食をテイクアウトし、帰宅。荷物を下ろし、落ち着いてさぁ食べようとなった頃には、冷めていた。これからろくでもない話をされるのだろうという予想が、湿気てよれている紙袋に重なり、気が滅入る。
 それぞれの前にまだ辛うじて温かさの残るバーガーと、すっかりぐんにゃり曲がったフライドポテト、ドリンクの入った紙コップを置いて、同時に手を合わせる。挨拶はちゃんとするようにと躾けられている。
 食べ始めるが、謠子には普段の勢いがなかった。ファストフードではあるが、一応彼女の好きな肉なのに。
「腹減ってなかった?」
 無言のままかぶりを振る。きっと謠子自身も何をどう話そうか考えてはいるのだろう。いつも通りにした方が話しやすいか、と篤久は口を開く。
「髪。ヨリちゃんに連絡しといたから。夜店閉めたら寄ってくれるってさ」
「…………」
「聞いてんなら返事くらいしてちょーだいよ」
「……ごめん、なさい」
 ぽつぽつと小さな口から漏れる。思ってみれば、エリュシオンから出てきてから謠子は目を合わせようとしない。「ごめんなさい」――それは一体何に対する謝罪なのか。
「謝るようなことしたの?」
「……多分、絶対、怒る」
「そうだな、そんな気はするわ。でもお前、もうン千万払っちゃったじゃん。俺、それ止めなかったじゃん」

 きっと後戻りができないのだと、振込み金額を見たときに察した。
 止めたところでどうにもならなかったに違いない。

「……全部話す、そう約束したよな?」
 何となく嫌な予感はするが、別に苛立っているわけではない。寧ろ不安しかない。
 しかし自分のことよりも謠子だ。この子がひっそり抱えているものをどうにかして下ろさせなければと、ゆっくり、小さな子を諭すように言うと、俯いたままだった謠子は持っていた食べかけのバーガーをテーブルの上に置いて立ち上がった。
「おい」
「持ってくる。待ってて」
 ダイニングを出て行く。

 髪は短くなってしまったのに、色彩は全然違うのに、その後姿はよく知っている人物によく似ている。

「……喜久ちゃん、俺、どうしたらいいのかな」
 小さく小さく独白したところに、謠子が戻ってきた。目を伏せたまま篤久の横まで来ると、何も言わずにテーブルの上にカードのようなものを置く。

 顔写真と名前。ICチップも入っているようだ。
 自動車の運転免許証にも似たそれは、どう見ても身分を証明する為のもの。

「キャプ、ター……?」
 小さく書かれた文字を見て、目を見張る。まさか、そんなはずは。

 ギフトを持つ――異能の者であるギフテッドは、必ずエリュシオンに入らなければならないという法がある。

 しかしギフト能力に目覚めても、それを隠してエリュシオンに入ろうとしない者は少なからず存在するし、その中には力を使い犯罪行為に走る者もいる。
 それを取り締まるのが“捕獲者”・キャプターなのだが――

「なんで……だって、キャプターって十六歳から……」

 謠子はまだ十歳、キャプターになる資格は――と、そこで先程の大金の使い道に気付く。

「謠子、お前、」
 買ったのか、と言う前に、
「一応正式な身分証だよ。試験は受けた、筆記とギフトの実技だけだけど」
 謠子が遮った。ここで初めて、目が合う。見慣れているはずの深い緑色が、ひどく鮮烈に突き刺さる。

「キャプターになりました。許可は得ているのでまたこの家に置いて下さい。この家の力が必要なんです。お願いします、伯父様」

 これまでボリュームの抑えられていた声でしか話さなかった謠子は、恐らくこの日初めて、はっきりと口にしながら頭を下げた。
 子どもらしからぬ、ぴしっとしたきれいなお辞儀。これまで自分に対して使ったことなどなかった敬語。姪のその姿に、胃の少し上がぎゅっと締まる思いがした。

 何かはわからない。しかしこの子は覚悟を決めているのだ。
 たった十歳の女の子が。

「…………顔、上げて、謠子」
 言われた通りに謠子はゆっくり顔を上げた。真剣な顔。まだ年端もいかぬ子どもにしては、強すぎる眼差し。
 謠子の方を向き、細く小さな肩に両手を置いて真っ直ぐ見返す。
「何でキャプターになった? この家の力が必要って?」
「お爺様とお婆様は、どうして殺されたの?」

 質問に質問で返され、思わず言葉に詰まる。
 「どうして」。その問いに答えることができない。

 約二年前に起こったこの屋敷の主・浄円寺清海とその妻叶恵の殺害事件に関しては、篤久自身にも疑問があった。

 浄円寺夫妻は、共にギフトを持ったキャプターだった。
 浄円寺家が元々情報売買を生業とする家だったこともあり、本来ならエリュシオン内に居住しなければならないところを、上層から特別に許可を得て外部に住み、エリュシオンの外でギフトを行使し罪を犯す悪用者“アビューザー”やエリュシオンに入ったものの逃げ出した逃走者“ランナー”、また力を隠しエリュシオンに入ろうとしない放浪者“ワンダラー”の情報を収集し、捕獲の為の対策を講じる任務に就いていた。仕事の内容が内容である為、危険な目には何度も遭ってはいたが、夫妻のどちらもアビューザーに襲撃されてもそう簡単にやられるような人物ではなかった。

 それが、アビューザーに襲われ殺害されたというのである。しかも白昼、エリュシオンを出てすぐの場所で。

 浄円寺夫妻や謠子の送迎で何度もエリュシオンの門前まで来たことがある篤久は、その現場とされるエリュシオン正門周辺の警備状況が――あくまで外から見た感じでしかないが――どんなだったかを知っていた。守衛はちゃんといたし、監視カメラも複数あった。姿を隠すような能力を持つアビューザーの犯行である可能性も考えられたが、浄円寺夫妻の遺したデータを調べてみても、少なくともその中にはそんなギフトを持つ人物は存在していなかった。
 それなのに、実際に報道されたのは「キャプター夫婦が待ち伏せしていたアビューザーに殺されたとみられる」といった内容のみで、守衛の証言や監視カメラの映像を公開したりは一切なく、情報を求めることもなかったのだ。そのせいか、当初はそれなりに大きく取り沙汰されていたはずが、事件の内容の割に早く世間から忘れられていった。

 「犯人を隠している」。そんな疑惑が湧いた。

 何故そんなことを? 世間に知られてはまずいことでもあるのか?

 もしかしてアビューザー――“悪”ではなくて、“正義”たるエリュシオンの関係者によって殺害されたのではないか。

 復讐する気などは更々なかった。相手が相手だ。下手をすれば同じように、自分も消されてしまうかもしれない。
 ただ、ちゃんと犯人を見つけ出したい、法によって裁かれてほしい。何故務めを全うしていたはずの浄円寺夫妻が命もろとも排除されなければならなかったのか、理由を明かしたい――その一心で、篤久は事件当時やその前後のエリュシオンの動き、勿論そうじゃなかった場合も考慮して、情報を集めていた。怪しまれないように、ひっそりと。

 そんなことをしていたから、謠子の言葉は尚更刺さった。
「……それが、お前がキャプターになった理由か?」
 ようやくのことで言葉を返す。大好きだった祖父母を亡き者にした犯人を見つけたい、捕まえたい。自分の手で。そう願ったのだろうか。
 しかし謠子は更に、意外な言葉を発した。
「施設が関与しているとしたら?」
 篤久は言葉を失った。いくら頭が回る子とはいえ、全く同じことを考えていただなんて。
 驚きが顔に出ていたのか、謠子は歪めるような苦笑いを浮かべた。
「お爺様とお婆様のお葬式の後、施設の人がお爺様のパソコンを持っていったでしょ? キャプターの仕事の大事なデータがどうとか言って。施設に戻ってからね、何度も訊かれたの。パスワードを知らないかって。知らないって言ってるのに、何度も何度もしつこく」
 そういえば自分も、夫妻の葬儀後に訪れたエリュシオンの職員に訊かれたことがある。三度目の来訪で不快感を示して以降はぱったりと途絶えたが。
「結局無理矢理解除しようとして失敗して、諦めたみたい。パソコン、処分されたんだって、誠くんが言ってた」
 処分と聞いて、篤久は舌打ちした。恐らく清海のパソコンには、夫妻が消された理由が隠されていたはずだ。
 察した謠子は小さく笑いを漏らした。
「処分されてなかったとしても、戻ってくるわけないよ。施設にとってはパンドラの箱なんだから」
「旦那様のパソコンの中身、知ってたのか」
「知らない。でも、施設の人たち見てたら、きっと施設側には都合の悪いもの入ってるんだろうなって。……ほんとはね、ロック解除の方法、知ってた。パスワードじゃないの」
「パスワードじゃない?」
「僕が施設に入る少し前に、病院に行ったでしょ? 健康診断って。そのときに採った血で、DNA情報の登録したんだって、前にお爺様が言ってたの。パソコンに繋ぐ専用の機械が地下のサーバー室の金庫に入ってるから、何かあったら使いなさいって。多分伯父様も、登録されてるはず」
「……浄円寺家うちの、登録されていた人間にしか解除できなかったってことか」
 それならば尚更、清海のパソコンが戻ってこなかったことが悔やまれる。例え中のデータが消去されて破損していたとしても、データを作成したのが清海であるのなら復元できるだけの技術が篤久にはあった。清海が密かに篤久と謠子に託そうとしていたものを、守りきれなかったのだ。

 そこまで聞いて、篤久はふと我に返る。
 これと謠子がキャプターになった理由がどう繋がっている?

「それで、施設内部の奴の犯行だったとして、お前がキャプターになる必要性があったのか?」
「施設の中はネットの回線が制限・監視されてる。外に出なきゃ何もできない。外出届けを頻繁に出すわけにもいかないし」
 キャプターはその職務内容からエリュシオンの内外を行き来できる権利を持つが、それでも届出は必要だ。だからこそ、以前祖父母がやっていたように、エリュシオンだけでは知り得ぬ外部の情報を集める役目を負ったということか。
「旦那様と同じことしてたら、益々怪しまれるだろ。お前は浄円寺の孫だぞ」
「だからだよ。同じことをしていれば、逆に御しやすいと思われるし、こっちも尻尾を掴みやすい」
「キャプターだぞ⁉ お前、旦那様が何度も怪我したり死にそうな目に遭ってたの知ってるだろ⁉」

 それまで冷静に冷静に、と自分に言い聞かせながら謠子と向き合っていたが、限界だった。

 キャプターという職が、この屋敷の主人夫妻がしていたことが、どんなに危険なものだったのか、篤久はよく理解していた。

 エリュシオンの外部にいるギフテッドを取り締まる――“原則として生きたままでエリュシオンに連行する”のがキャプターの仕事の基本だ。おとなしく従ってくれるのならいいが、反撃されれば相手の能力次第ではただでは済まない。凶悪なアビューザーを相手取って殉職したキャプターの話も耳にしたことがある。

「お前はまだ十歳なんだよ! 子ども! 本来ならランドセル背負しょって小学校ガッコ行って走り回ってリコーダーぴーぴーいわせてる、そんぐらいのガキなんだよ! キャプターだなんて何考えてんだ、そんなの俺がやりゃいい話だろ⁉ キャプターになって、外からも中からも情報集めて証拠固めて! 何でお前がやるんだよ、何でお前がそんな危ねえ目に遭わなきゃ」

「貴方がキャプターになって外に出ちゃったら一緒にいられないじゃないか!」

 遮った謠子の一言は悲痛だった。泣きそうな顔をしている、が、必死に堪えているのがわかる。
「知らないところで、いきなりいなくなっちゃうなんて、もう嫌だよ……」

 本来三親等では扶養義務はない。しかし幸い仕事がほぼ在宅で済んでいたことと、清海と叶恵が多忙である為、篤久は正式に謠子の保護者──未成年後見人として認可されるよう手続きを取り、夫妻に代わって四苦八苦しながらも育ててきた。ほぼ親代わりと言っても過言ではない。謠子も彼を慕い、信頼している。
 物心つかない頃に両親を、二年前に祖父母をうしなっている謠子にとって、今や篤久は唯一の身内、家族である。五歳でエリュシオンに入って以降も幼いながらに気丈に振舞ってはいたが、それでもお互い施設の中と外、家族と離れてたった一人――不安でないわけがなかったのだ。

「お願い、伯父様」
 謠子は篤久にぎゅっとしがみついた。
「仕事の邪魔しないから。ここにいさせて。お爺様とお婆様のこと、僕が明かしてみせるから。絶対、必ず」

 きっと、キャプターになるのにも、謠子は一生懸命考えを巡らせ、努力をしたはずだ。
 試験の為の勉強は勿論、どうすれば大人を黙らせ、無理を通せるか。

 己の頭脳を、生まれた家を、強い意志を剣にして、二年間研ぎ澄ませ、戦い、今の地位を勝ち取ったのだ。

 あまりにも大きなものを背負った小さな背中を、ぐ、と力一杯抱き締め、
「ったく、生意気言ってんじゃねえよクソガキ!」
 篤久は笑った。姪のことを思うと少し泣きそうだったが、何とか耐える。
「俺も旦那様と奥様のことずっと調べてんだよ、何でお前ばっかりにやらせなきゃなんねえんだ。一人で背負おうとすんな、だから狡いっつってんの。俺だって浄円寺清海と叶恵の実の息子なんだぞ」
 がしゃがしゃと荒く謠子の頭を撫でると、離れて今度は謠子の顔を両手で包む。
「さっきも言ったけど、お前がやろうとしてるのは、本来俺がやるべきだったことだ。浄円寺データバンクの力を使ってキャプターに協力しながら、同時に内部も探る。どういうことか、わかってる?」
 きゅ、と一瞬唇を噛み、謠子は真っ直ぐ見つめ返す。
「バレたら大変なことになる」
 予想だにしなかったごくごく簡潔な返しに、思わず吹き出す。
「おゥ、そうだぞ。相手次第じゃ下手すりゃお前も俺も、旦那様たちみたいに消されるかもしれない。……その覚悟が、あるんだな?」
「道楽で家建つくらいのお金使うと思う?」
「そりゃそうだ」
 ぺち、と軽く両頬を叩き、そのまま引き寄せ額を合わせる。
「いいよ、好きに暴れろ。この家の全部、お前にくれてやる」
 謠子は大きな目をしばたたかせた。
「全部って、何言ってるの。今は貴方がこの家の主じゃないか」
「だって俺まだ名乗り平田にしてるもん。旦那様と奥様のこと全部片付いたらちゃんと浄円寺の息子に戻ろうと思ってたのに、お前がこんなことしてきたんじゃなァ」
 篤久は戸籍上は浄円寺だが、諸事情あって幼い頃から違う姓を名乗っている。そのせいで彼が浄円寺家の者であると知る者はそう多くない。
 額を合わせた状態を保ちつつ、頭を左右に振る。
「丁度いいじゃん、ほんとにいるんだかいねえんだか実在も危ぶまれてる存在感うっすーい浄円寺の息子より、大人に負けじと幅利かせてるちっさい孫娘が跡継いだ方が世間の覚えがいいもんさ」
「でも」
 ぴたり。動きを止めて。
「お前のワガママ全部聞いてやる。その代わり、全部終わるまでお前と俺は姪と伯父じゃなくて浄円寺家のお嬢様と親戚の平田家の息子、つまり赤の他人。いいな」
 赤の他人、と復唱して、謠子は離れた。
「嫌だ! 何で⁉」
「俺がお前の伯父で後ろ盾になってるなんて、そんなの知られたらやりにくくなるだろ。どうせ俺ァ組織のトップなんて向いてねえし、力が必要だってンならお前が全部持ってろ、そんで好きなときに好きなようにぶん回せ。お前が使う武器は全部、俺が全力でメンテしてやる」
「だって、そんな、僕がこの家の、なんて、伯父様はどうするの⁉」
「そうだなァ」
 見ると、不安げな謠子の表情は、もうすっかり硬さが消えて元の姪の顔に戻っていた。問題はまだまだあるにしろ、ずっと、ひっそり、長い時間抱えていたものを打ち明けて、少し心が軽くなったのだろう。

 もうこんな顔をさせない為に、何をする?

「ま、急ぐもんじゃアねえ。ポジションなんてどーにでもなる、これから考えるさ。……さーて。どっかのお嬢ちゃんが急に帰ってくるなんて言うから今うち何(なん)もねえぞォ。ちょっと買い物行ってくっからお留守番よろしくねん」
 冷め切ってしなびているポテトを口の中に詰め込むと、篤久は席を立った。
 翌朝、起きてきた謠子は篤久の姿を見てきょとんとした。
「何、お葬式でもあるの?」
 白いワイシャツに黒いスラックス、ベスト、そしてネクタイ。モノクロームの装いの篤久は、居間のソファーに座った謠子にきれいな所作で煎茶を出した。
「どうぞ、お嬢様」
 謠子が愛らしい顔を顰める。
「何の遊び?」
「遊びじゃねえよ、俺これからお前の執事やろうと思って」
「は?」
「身内でもない苗字の違うおっさんが一緒に住んでるなんて体裁わりィだろ。だから俺はこれから浄円寺の跡取り・謠子お嬢様の使用人。これなら一応形は整うし、お前がキャプターの仕事で捕獲作戦なんかに行かなきゃなんねえときも一緒についてく口実になる。お前そもそも運動全然ダメなんだから守ってくれるボディーガードも必要だろよ。安心しろ、俺結構強いから」
「うん、強いのはわかるけどさ……いや、でも、執事……使用人…………」
 上から下までじっくり、何往復もしながら見る謠子の顔は、この上なくもの問いたげである。
「何だよ」
「執事とか使用人っていうより、何だかその道の人みたいだよ」
「はァ⁉ どっからどう見ても立派な執事だろ⁉」
 謠子は益々顔を顰めて、両手で包むように湯飲みを持つ。
「伯父様口悪いから益々その道の人みたいに見える」
「その道って何だよ失礼な」
「まぁ確かに燕尾とか恥ずかしい格好されるよりはマシだけどさ。だからって黒い服着ればいいってもんじゃないでしょ、何か存在として圧がすごいよ伯父様」
「伯父様って言うな『伯父様』これから禁止! 俺は今日から! 謠子お嬢様の下僕! 謠子様の忠実な犬・平田篤久だ!」
 腕組みをして仁王立ちすると、
「随分と傲然ごうぜんとした下僕だなぁ」
 お嬢様はお茶を啜ってクールに返す。あまりにも冷ややかな少女の態度に、篤久は急に羞恥心に襲われ謠子の傍らに膝をついて縋り付く。
「ねぇ謠ちゃん何でそんなに冷たいの俺これでもすっげぇ一生懸命考えたんだよ?」
「わかってるよ、貴方の言い分は一理ある。だから、うん…………」
 俯いて黙り込んでしまった。篤久は焦る。
「なっ、なに、ごめん、わかった、もうちょっと何か、どうにかすっから」
「ふっ」
 謠子は湯飲みをテーブルに置いて、

「あははははははは!」

 笑った。

 篤久は安堵した。よかった、謠子はちゃんと笑える。

 これから先、彼女と自分の見えざる大きな敵との密やかなる戦いは続いていくのだろう。
 そんな中でもせめて、自分といるときだけでもこの子が笑顔になれるのなら。

「採用?」
 重ねるように小さな手を握ると、まだ笑いのおさまらない謠子は更にその上に手を重ねた。
「何て呼んだらいいかな」
「んー、下の名前だとわかる奴にはわかっちゃうか……平田でいいよ慣れてるし」
「伯父様はどうなっちゃうの?」
「生まれたときから病弱で田舎にいるらしいからな、引き続き引き籠もっててもらおっか」
「何それ初めて知った。病弱だったの?」
「いや? 病弱どころか健康優良児よ」
「ふふ」
 ぎゅっと、手が握られる。
「わかった。これから宜しくね、平田くん」
「地獄の底までついてってやるよ、謠子お嬢様」
「一緒に施設を潰そうね」
 笑顔でいきなり放たれたとんでもない言葉に、一瞬篤久は思考を停止させた。

「…………んっ?」
          To be continued……


------------------------------


 『シーゲンターラー謠子の遊戯』文庫版に収録した、「謠子がキャプターになり、平田が執事になったとき」のお話でした

 当初たった二人で立ち向かっていこうと考えていた謠子と平田ですが、この直後に施設を脱走してしまった戸谷、また二年程後に平田の嫁の座を狙って突撃してきた鈴音など、味方が徐々に増えていくことになります


 彼らの目的が果たされるかどうかは神のみぞ知るやつですが、そんな中で起きる事件や日常を書いていくのはとても楽しいので、もっといっぱい書きたいなぁと思います






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チーズと鶏肉とまぐろとホタテでホイホイ釣られるチョコミン党員しょうゆ厨
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