the Drop Down Sirius

日常・一次創作・二次創作ごった煮

天国は月のとなり/第一話 お茶は朔の夜の香り





   第一話 お茶は朔の夜の香り


「おばちゃーん。ラクダちょーだい、カタマリで!」
 小さなタバコ屋の小さな窓から顔を突っ込んで、上島赫夜は奥に向かって叫んだ。後ろで待っている咲草弥潮が慌てる。
「赫夜ちゃんっ、あんまり身ぃ乗り出さないでっ」
 スカートが短いせいで、あと少し裾が上がれば下着が見えてしまう。ななみが苦笑いしながら赫夜を引き下ろす。
「姫。あんまり弥潮を悩殺しなさんなよ」
「あ?」
「パンツ見えそうだって」
「あ、ごめんやっちん。刺激が強かったか」
 弥潮は気まずそうに俯いた。
「いや……」
「全く、」
 にへ、と笑って、
「やっちんはうぶくて可愛いねぇ。とてもななちんと双子とは思えない」
 赫夜は弥潮を抱き締めた。弥潮は赤くなって固まる。
「あ、あの、赫夜ちゃん……」
「いちゃつくなら他行ってやんなよ。はい、キャメルのカートンね」
 タバコ屋のおばちゃんが小窓から四角い包みと新タマネギとジャガイモ、そしてニンジンの入ったスーパー袋を差し出す。
「ちょうど田舎から野菜がたくさん届いてね。おすそわけ」
「うわー、ありがとー。さっそく今夜はカレーかポトフだー」
「たまにはごはんくらい作ってやんなさいよ、赫夜ちゃん。ミカちゃんだって若い身であんたを養うのに大変なんだから」
「失礼な、たまに作ってるもん」
 赫夜が口を尖らせると、ななみが笑う。
「作るにしたって、もうちょっと考えて作んなよ。ドリアと豚汁が一緒に出てくる食卓なんて聞いたことないよ」
「ななちん! なぜそれを!」
「兄ちゃんが壬廉さんから聞いたって」
 弥潮が苦笑いしながら返すと、
「おのれミカ。今夜シメてやる」
 赫夜はきっ、と弥潮を見返した。
「やっちんは、ドリアと豚汁おっけーよね?」
「う、んん」
 言葉に詰まる弥潮に、タバコ屋のおばちゃんが助け船を出した。
「弥潮くん、いくら可愛い彼女の言葉でも、嫌なら嫌って言っていいのよ。全く、赫夜ち
ゃんの変わった食い合わせはさんにそっくりねぇ」
 赫夜は貶されているのを知っていながらも、にへ、と笑った。
「だって、孫だもん」
 赫夜は竹やぶで東条壬廉に発見され、その叔母・上島飛雁の養女となった身である。飛雁の父親である正治とも、当然血の繋がりはない。しかし、周りの目から見ても、赫夜は上島家にとけ込んでいる存在だった。特に正治とは気が合っていたようで、壬廉同様本当の孫と祖父のようだった。
「そういえば、赫夜ちゃん。あんた、永森化学のお坊ちゃんって知り合いなの?」
 おばちゃんの言葉に赫夜はきょとんとした。
「は? ナガモリカガク? 何それ」
 赫夜の頭をななみがぱん、とはたいた。
「バーカ。引きこもってるからそういうことに疎くなんの!」
「やっちん。ナガモリカガクって何?」
「最近急激に伸びてきた会社だよ。主に建築材の研究なんかをしているんだけど、食品とかも扱ってる。ほら、この間出た醤油マヨネーズ味のインスタントラーメン。あれ作ったの永森化学の系列なんだ」
「へー。あれは思ってたよりおいしかったねぇ」
 納得すると、赫夜はおばちゃんの方に向き直った。
「で、その坊ちゃんが何だって?」
「昔ここらに捨てられた女の子を探してるんだって」
「わたししかいないじゃん、そんなの」
 竹やぶに捨てられていた女の赤ん坊といえば、上島さんちの赫夜ちゃん。この辺りでは有名な話だ。
「もしかしたら、身内なんじゃないの?」
 おばちゃんの言葉に、赫夜はけたけたと笑った。
「まっさかァ! そんな金持ちなら捨てたりしないっしょー!」
「でも」
 弥潮か考え込むように俯く。
「永森化学がそこそこ有名になってきたのは数年前だし。赫夜ちゃんが生まれた頃は、まだ貧乏だったのかも」
「だとしても、今更探しに来られても困るよ。わたしはもう上島飛雁の娘で上島正治とアキの孫だもん」
「それ、聞いたら、飛雁おばさんたち喜ぶね」
「喜ばないよ。当たり前すぎて」
 赫夜はタバコの代金を払うと、くるりと身を翻した。
 と、
「ん?」
 じっとこちらを見ている少年がいる。十二、三歳くらいだろうか。
 顔立ちがどこかの誰かに似ている。
「あの、」
 少年は、赫夜に近付いてきた。
「何?」
「ウエシマカグヤさん?」
「そうよ」
 そう応えるや否や――少年は、赫夜に抱き付いてきた。
「ねーちゃん!」
「……はっ?」
 少年は、離れると今度は赫夜の手を取った。
「おれっ、永森ユウ! あんたの実のおと」
「待った、少年」
 赫夜は間髪入れずに少年の口を手で塞いだ。
「それは、多分、ガセ」
 手を退けて、ユウ少年は憤慨した。
「ガセじゃない!」
「だって、それは……あまりにもベタすぎない? 竹やぶに捨てられてて、かぐや、なんて名前つけられて、挙げ句の果てにお迎え? ありえない、ありえないよ。少年、あんたはガセネタを掴まされたのよ。わたしはあんたのお姉ちゃんじゃない。オーケー?」
「ガセじゃないもん」
 ユウ少年は肩から提げていた革のバッグから封筒を出し、そこから更に何かを出して見せた。
「参考までに、これ、うちの両親」
「え」
 見せられたものは、結婚写真。二十くらいの男女が笑っている。その、女性の方――全く知らないはずなのに、見覚えがある。
 弥潮とななみも両脇から挟むように覗き込んだ。
「あれ、これって」
「大平紅葉(くれは)じゃん」
 若い頃は可憐な外見と演技で売り、現在はバラエティ番組に出演したりもするそこそこ人気のある女優だ。
「大平紅葉って、結婚してないんじゃなかったっけ?」
 ななみの疑問に、
「表向きはね」
 ユウは淡々と応えた。
「でも実際はおれが生まれる数ヶ月前に親父と籍入れちゃったんだ。駆け出しの頃なんか駆け落ちまでして子どもを一人を産んだんだけど、父親に捕まってその子を取り上げられたらしい。それでも二人は熱烈にラブラブだったから、事務所もお互いの親も諦めて、こっそり結婚させちゃったんだってさ。ま、嘘だかほんとだか知らないけど。その、」
 赫夜を真っ直ぐ見据える。
「昔大平紅葉が産んだ子ってのが、上島赫夜さん。あんただよ」
「嘘をつくな! そんな劇的な話がどこにある!」
「だから、ここにあるんだってば。何だったら、DNA鑑定とかしてもらおうか? それ以前にその顔がものを言ってると思うけど」
 写真の大平紅葉だけではない。目の前にいるユウの顔も、鏡に映る顔によく似ていると赫夜は思った。
「…………ななちん。やっちん。どうしよう。これは本当に身内かもしれない」
「どうしようって」
「言われても……」
 三人は困惑した。
 まさか竹やぶに捨てられていた子が実は女優の隠し子で、しかも今では社長令嬢のご身分であるはずだとは。
 ユウは、落ち着いた表情で続けた。
「とにかく、あんたを捨てられたのは、両親にとって不本意なことだったんだ。今からでも一緒に暮らしたいって言ってる。おれも今まで一人だったから、ねーちゃんができると嬉しいんだけど……」
「うぅ」
 赫夜は困った。これまでこんなに困ったことはない。
 確かに、この少年となら仲よくできそうな気はする。初対面ではあるが何故かそう思った。
 でも――
「……年寄りの意見を仰ごう」
 赫夜は決意した。
「少年。あさっての日曜日、ヒマ?」
「東条壬廉さんのこと? だったら待ってもいいよ」
「だって、ミカが帰ってくるの真夜中だよ?」
 壬廉の働くホストクラブの閉店が十二時。店の片付けと掃除に約一時間。その後同僚と共に反省会を兼ねた遅すぎる夕食を摂って一時間ないし二時間。それから帰宅であるから、どんなに早くても三時過ぎになる。
「構わないよ。どうせ家に帰っても誰もいないし、学校だって一日くらいなら欠席しても誰も文句なんか言わない」
「そう。じゃ、おいで」
 赫夜は、自称弟・永森ユウ少年を、とりあえず部屋に招くことにした。


 帰宅するなり、東条壬廉は玄関先に立ち竦んで、
「やべぇ。過労かな。うちの姫さまが二人に見える」
 指で瞼の上から眼球をマッサージした。ユウ少年とテレビゲームをしていた赫夜が迎えに出る。
「あっ、すずらん茶房の生チョコケーキだ! 今日アキエさん来たの?」
「慌てるな。ちゃんとくれてやるから、あそこでおれのプレステいじってるお前の分身は何なのか説明しろ」
「あれはねぇ、永森ユウくん。何かどっかの会社の坊ちゃんで、大平紅葉の息子」
「ながもり……ああ、永森化学ね。ん? 大平紅葉って結婚してたっけ?」
「あっ、隠し子隠し子」
「お前、そんな芸能界の大問題をさらりと……」
 ユウは、ゲーム機を片付けると、部屋の主の方を向いて正座し、頭を提げた。
「夜分遅くお留守のところに失礼しております。永森『愉しむ』に『羽』と書いて愉羽と申します」
「これはこれは、ご丁寧に」
 壬廉もならって正座し礼をした。その間に赫夜はご機嫌に紅茶の支度を始める。
「それで、」
 壬廉は顔を上げると、足を胡座に直した。
「その、永森化学の坊ちゃんがうちに何用で?」
「姉に会いに来ました」
「姉?」
「そう、姉」
 愉羽は台所に立つ赫夜を示した。壬廉はふぅん、と唸った。確かに目の前の少年と長年つるんできたいとこはよく似ている。しかし印象は少し違う。赫夜はオープンな性格のせいかうるさいくらいに活発に見えるが、愉羽は利発そうでいて年端の割に落ち着きがある。
 壬廉の頭の中に、ふと一対の狛犬が浮かんだ。阿形の狛犬を赫夜とするなら、吽形の狛犬は愉羽だ。
「で、ねーちゃんに会ったわけですけど?」
「できることなら、うちに迎えたいんです。姉が捨てられてしまったのは、母方の祖父が母の身上を思うがゆえに起こした行動。祖父は亡くなる際にそれを悔いていました。だからといって許されるとは思いませんが――少なくとも、両親は姉と一緒に暮らしたがっている。僕も同じ考えです」
 あとは紅茶を入れるだけの状態にした赫夜が、食事用のナイフを持って戻ってきた。テーブルの上に置かれたケーキの箱を開ける。
「ミカもユウも何気取った言葉使ってんのさ。そんなことよりお茶しよお茶お茶お茶お茶っ」
「久々のケーキが嬉しいのはわかったから落ち着け。って、赫夜、お前、自分のことだろ真面目に聞けよ」
「もう話聞いたもん。詳しく。ねっ」
 「ね」と同時に、たんっ、と丸いケーキに勢いよくナイフを入れる。壬廉と愉羽はびくっとした。
「赫夜。もうちょっと丁寧にそして平等に切れ」
「あら、バレた?」
 自分の取り分だけ大きく切っているのはバレバレだった。


 消灯したのは外がうっすらと明るくなってきた頃だった。普段二人で交互に使っているダブルベッドには赫夜と愉羽、ベッドにもなるソファーに壬廉が寝る。
 珍しく学校に行った赫夜は疲れているのか、床に入るとすぐに寝てしまった。
「気ィつけな。そいつ、たまにニーキックかますから」
 壬廉が小声で言うと、愉羽は壬廉の方を向いた。
「あんた、ねーちゃんと一緒に寝てるの?」
「たまにだけどな。最初はそいつがこっちでおれがそっちだったんだけど、だんだんソファーからベッドにするのにめんどくさくなったんだろ。おれんとこもぐり込んでくるようになった」
「ヤったの?」
 唐突な質問に、壬廉は吹き出した。
「冗談。そいつの裸なんか見飽きてる。風呂上がって十分は素っ裸でうろうろするようなやつだぞ。しかも一緒の布団に入ったら入ったで寝惚けて殴る蹴るの暴行受けるし。痣だらけにされちゃ勃つモンも勃たねぇよ」
 ほら、と言って袖を捲る。薄暗い中ではあったが、白い肌に黒ずんだ箇所があるのが確認できた。
「これ、そこの姫様の拳の跡。なまじケンカの仕方なんか教えちまったもんだから、無駄に強くてな。まぁ、痴漢撃退には役に立ってるらしいけど」
「それ、寝てる時に?」
「そ。何の夢見たんだかな」
 ふぅん、と唸ると、愉羽は上を向いた。
「よかった。そういう関係じゃないんだ」
「そいつの彼氏は別にいる。安心しろ、そいつにも体はおろか唇も許してないらいぞ」
「ああ、昼間のあの人」
 さして関心がなさそうな声だ。
「おれ、あの人よりあんたの方が危なく見えるんだよね。大事にしてるっぽいし?」
「そりゃあ、じいちゃんから託されてるからなぁ」
「本当に、それだけ?」
「疑り深いやつだな」
 壬廉は思わず苦笑いした。
「確かに赫夜の両親は社長と女優なんだろうけど、今はおれの叔母さんの娘で上島正治・アキ夫妻の孫だ。でもみんな次々に死んじまったから、そいつの戸籍上の親戚は今はおれしかいない。おれは信心深い人間じゃないから遺言通りにじいちゃんがほんとに祟るなんて思っちゃいないが、託されたんなら一人立ちできるようになるまで面倒見てやるしかねぇだろ」
 壬廉は愉羽に背を向けた。
「そいつがそんなにほしいんなら、直接口説き落とすんだな。どこでどう暮らすかは、そいつ自身が決めること。おれにどうこう言われても困る」
 愉羽も壬廉に背を向ける。
「おれ、ねーちゃんは好きだけど、あんたは嫌いだ」
「へぇ、意外にモテるんだな、その小娘」
 壬廉は、
「おれもお前のような小生意気なガキは嫌いだよ」
 笑いながら、言った。


 赫夜は、とりあえず、両親に会ってみることにした。
 シャワーを浴びて、一張羅のピンクのワンピースを着る。いつも外出する時はマスカラやらグロスやら塗りたくるのを眉を少々整えるだけに留めると、年相応の可愛らしい少女ができ上がった。
「どうっ、ミカ! わたし清楚な感じっ?」
「いつもがケバいんだよ。高校生が生意気に化粧なんかするんじゃねぇ。年いってから肌荒れるぞ」
「あっ、ミカあんたあたしのパック使ったね! 買って返してよ!」
「ああ、今度客のつてでいいものやるから、とりあえず今は寝かせろ」
 壬廉は頭まで布団を被る。その布団の塊に一発蹴りを入れると、赫夜はバッグを持って玄関に向かった。愉羽が続いて外に出る。
 慌ただしかった部屋は、二人が出ると静かになった。
 壬廉は布団から出て戸締まりをすると、再び布団に入った。
 その中で、ぼんやり考える。

 赫夜が両親の元に戻ると言ったら、どうなるのだろう。
 少なくとも、自分は必死になって稼ぐ必要はなくなる。
 とはいっても、今更まともな会社へ就職し直すのもなかなか難しい。

「……何でおれの方が身の振り方を考えにゃならんのだ」
 ばかばかしい。呟いて、壬廉はまた頭まで布団を被った。


 壬廉が出勤する前には帰ると言っていた赫夜は、夕方になっても帰ってこなかった。
「ケータイ持たせるんだったな」
 苦々しく独白しながら壬廉は身支度をしていた。
 夕食の支度はしておいた方がよかったのか否か。それだけのことがわからないだけで、何でこんなにイライラしなければならないのだろう。
 手ぐしで簡単に髪を整えていると、呼び鈴がなる。壬廉は玄関のドアを開けた。
「このバカぐや姫っ、遅くなるならなるで電話し」
「ミカちゃん怖いよ」
 ドアの前にいたのは幼なじみで親友にして同僚・咲草太洋だった。妹と揃いの金髪が風に拭かれてさらりと揺れる。
「何。どしたの。赫夜ちゃん家出?」
 童顔の太洋は、明るくのんびりとした性格である。
「里帰りだよ」
「あぁ、赫夜ちゃんの両親判明したんだってねぇ。すごいねぇ、永森化学の社長さんと大平紅葉の娘さんだっけ? そういえば若い頃の大平紅葉に似てるかな。特に『硝子の箱の中』の頃」
「それ、おれらが生まれた頃の映画だろ。何でそんなの知ってるんだよ」
「こないだDVD借りて見た」
「渋いセレクトだな、二十二の割に」
 壬廉は部屋を出て鍵を閉めた。もう出勤時間ギリギリだ。
「……赫夜、向こうで暮らすかもな」
 ぽつりと言うと、太洋は壬廉の頭をぽんぽん、とごく軽く叩いた。
「それは、寂しいね」
「せいせいすらァ」
「無理しなさんなよ。赫夜ちゃんはミカちゃんの愛娘なんだから」
 親友の言葉に思わず足を止める。
「まなむすめ?」
「だって、飛雁さんよりミカちゃんのが、赫夜ちゃんの面倒見てたっしょ。もう親子だよ、兄妹とかいとこって言うより。だからミカちゃんも、赫夜ちゃん養ってるんじゃないの?」
「それは」
「ショージじいちゃんの遺言って言ったってさ、赫夜ちゃんだって法律上は働いて生きていける年齢だよ。壬廉は過保護なのさ」
 ほれ遅刻するぞ、と太洋が背中を押した。
「過保護かなぁ、おれ」
「過保護だね。過保護なパパだ」
 太洋は、笑った。
「初めて赫夜ちゃんうちに連れてきた時、びっくりしたもん。ミカちゃん大事そうにおっきいタケノコ抱えてさ。タケノコかと思ったら赤ちゃんだし。あの時ミカちゃん、自分が
どんな顔してたか知らんっしょ。が生まれた時の、うちの親父さんと同じ顔してたんだよ。五歳なのにね」


 案の定、その日赫夜は帰ってこなかった。
 このまま帰ってこないのではないか、と壬廉は真っ暗な部屋に一歩入った途端に思った。
 それはそれでいいのかもしれない。
 じめじめと別れを惜しむよりも、このままさっぱり切れた方が。

 あいつはやっぱり竹から生まれたのかもしれない。
 だから帰っていったんだ。
 月みたいにきれいなところに。

「両親が社長と女優だもんな」
 壬廉はさっさとTシャツとジャージに着替えると、電気を消して布団に入った。


「ミカ。死んでる?」
 聞き慣れた声で、急に、はっきり、目が覚めた。しかも数センチ先には見慣れた顔がある。
「あぁ、生きてるね」
「……かぐや?」
「何て顔してんのさ。ヒトをお化けか何かみたいに。失礼しちゃう」
 赫夜はカーテンを開けた。陽の光が差し込んでくる。薄暗い部屋が一気に眩しい空間になる。
「もしかして、ケータイの留守電聞いてなかった? ごはんいらないよっていうのと、遅くなるから駅まで迎えに来てって言ったやつ。三十分も待ったのに来ないからさ、たーちんに電話して迎えに来てもらって、咲草家に一夜の宿を借りちゃったよ。今度たーちんに何かおごってやんなさいよ?」
「……留守電?」
 枕元にある折りたたみ式の携帯電話を開いて見てみる。
 画面が真っ黒だった。
「…………あ?」
 電源が入らない。
 バッテリーが完全に切れていた。
「わり。電池切れてた」
「バカ! ちゃんと充電しときなさいよ!」
「すまん」
 いつもなら売り言葉に対して買い言葉が返ってくるはずなのだが、妙に素直に謝られたので、赫夜は怪訝な顔をした。
「……何よ。気持ち悪いなぁ」
「赫夜」
 壬廉は布団から出て下に足を下ろした。
「お前、何でいるの」
「は? なして?」
「向こうの家、戻るんだろ」
「何言ってんの。まだ決めてないよ」
「何で」
「何でって……何で?」
「家族、いるだろ。しかも弟までいてさ。お前、一応女だし、こんなとこより、ちゃんとした環境で暮らした方が」
 そこまで言うと、
「壬廉のバカっ!」
 いきなり赫夜が声を張り上げた。
「そりゃあ、わたしは身内の居所がわかってひとりじゃなくなったよ? でもわたしがいなくなったら、今度はミカがひとりになっちゃうじゃん! それでもいいの?」
「おれはもう成人してるし、働いて稼いでる。父ちゃんと母ちゃんが生きてても、どうせこの歳じゃ一人立ちしてるだろ」
 赫夜は、俯いた。
「ミカ。ほんとはわたし、邪魔だった?」
「……邪魔じゃ……ないけど……」
「邪魔じゃないけどうるさかった? 邪魔じゃないけど――家族じゃなかった?」
「かぐ」
「わかった」
 赫夜は少しだけ笑いながら、玄関に向かった。
「長い間、お世話になりました。……じゃ、ばいばい」
 壬廉が声をかける間もなく、赫夜は出ていった。


 実姉を説得しようと東条壬廉・上島赫夜の同居部屋に向かっていた永森愉羽は、途中の公園にて沈んだ表情でブランコに乗っている赫夜を発見した。
「ねーちゃん?」
「ユウ、何で」
「今からねーちゃんとこ行こうと思って。……何か、あった?」
「家族って、何かなぁ」
「えっ」
 突然の質問に、愉羽はさすがに一瞬、返答に窮したが、となりのブランコにゆっくり、腰を下ろす。
「おれんちは、家族じゃないよ。親父は自分から営業とか行っちゃうし、紅葉はそこそこ売れてるしで、二人ともあんまり家に帰ってこないんだよね。たまにみんな揃ったと思ったら二人して両親ぶっちゃってべったべたしてくるからうっとうしいったら」
「ふふ。愛されてんじゃん、ユウ」
「違うね。あの人たちが愛してるのは、おれじゃなくておれの頭と金運だよ。永森化学ができる前の資金繰りはおれがやってたからね」
「えっ、でも当時って小学生だったんでしょ?」
「親父が稼いできた小金でおれが親父名義でネットで株売買してたんだ。だから割とすぐ金は貯まった。要は成金なんだよね、うちって」
「うわーすげえ。ユウって頭いいんだねー。こりゃあ自慢の弟だ!」
 弟と言われたのが嬉しかったのか、愉羽はにこっ、と笑った。
「おれね、初めてねーちゃんのこと聞いた時、ショックっていうより、嬉しかったんだ」
「わたしもユウが弟だっていうのは、すごく嬉しかった。……でもね」

 新しい家族ができたのと同時に、古い家族を失った。

 ――否。

 家族だと思っていたのは、自分だけだったのかもしれない。

「わたし、ミカに甘えっぱなしだったから、だから、いけなかったのかなぁ? もっと家事とか、手伝った方がよかったのかなぁ? そうしたら、ちゃんと、家族っぽくなれてたのかなぁ?」
「ねーちゃん」
 しおれる姉を案じて、愉羽が声をかけようとすると、
「何だかんだ言ってミカが全部やっちゃうくせに!」
 急に赫夜が憤慨しながら立ち上がったので、驚いて硬直した。気付いて赫夜は不思議そうな顔をする。
「ん? どしたの?」
「いや、うん、何でもない……」
 愉羽は思った。このねーちゃん、一緒にいると楽しいけど、ちょっと心臓に悪い。
 また、ぶすっとして、赫夜はブランコに座った。
「わたし、やっぱり永森赫夜になろっかな」
「……おれは嬉しいけどさ、」
 愉羽は微苦笑した。
「それ、ねーちゃんの本心?」
「え」
「何言い合ったんだか知らないけど、ちゃんと話し合ってから決めなよ。おれは東条さんはあんまり好きになれないけど、ねーちゃんはずっと一緒にいたんだからさ、あのひとのとこのがいいんじゃないの?」
「でも、わたし、ミカの邪魔みたいだし」
「ほんとに邪魔ならすぐ追い出すんじゃないのかな。こないだ、ねーちゃんが寝ちゃった後ちょっと話したんだけど、あのひと、ねーちゃんのことすげえ大事にしてるよ。普通こんな可愛い女の子と一緒の布団で寝てたりしたら手ェ出しちゃうと思うけど、あのひとそんなことしなかったでしょ」

 言葉だけなら何とでも言える。が、とても嘘をついてるようには見えなかった。

 そして、それが何だか悔しかった。

 それでも――

「おれ、ねーちゃんのこと好きだから、なるべくそんな仏頂面しててほしくないな。うちに来てくれたって、年中暗い顔されてたんじゃ、堪んないよ」
「ユウ」
 赫夜は愉羽の乗るブランコを引き寄せて、ぎゅっと肩を抱いた。
「ごめんね」
「一緒に暮らさなくても、名字が違っても、ねーちゃんとおれは姉弟だよ。それだけ覚えててくれればいい。あと、たまに遊んで」
「うん。……あのさ、」
「何?」
「ユウ、何でミカのこと嫌いなの?」
 姉の肩を抱き返して、愉羽は耳元で囁いた。
「何かさ、うらやましかったんだ。ねーちゃんとずっと一緒にいたってのが」


 部屋の呼び鈴を押すと、すぐにドアが開いた。寝巻きのままの壬廉は、赫夜の姿を見ると大きく息を吐く。
「帰ってこないと思ってた」
「そうするにしたって、わたし、この部屋に色々置きっぱなしなんだけど」
 赫夜は一歩だけ前に進んで、壬廉にしがみついた。
「あー。やっぱ落ち着くわぁ、ミカの匂い」
 中年オヤジが温泉にでも入ったかのような言い方だ。
「あの家は、ダメ。広すぎて、きれいすぎ。何も匂いがしないんだよ。わたしは落ち着かない、あんなところで暮らせない。ユウには悪いけどね」
「……親御さんは、何て?」
「何かね、謝られた。捨てたわたしに負い目を感じてるみたい。悪い人たちじゃないんだけど、ああいう妙に子どもにへこへこしたところのある親は嫌。……なんて、面と向かって言ったわけじゃないけど」
 赫夜は顔を上げた。
「もう、あと一年くらいだから壬廉と暮らさしといてって、言ってきちゃったんだよ! あんたの邪魔になるとか、そんなことどうでもいい。わたしはここがいいの、ミカの作るごはんを食べて、ななちんとやっちんと遊んで、そういうふうに暮らしたいの。文句ある!?」
 壬廉は、
「…………ああ、文句だらけだ」
 深々と嘆息して――それとは裏腹に、赫夜の頭を寄せて撫でた。
「全く。ようやく子育てから解放されたと思ったのに、この娘は」
 あたたかくて、大きな手に撫でられるのが気持ちよくて、赫夜はまた壬廉に抱き付いた。
「わたしがいなくなったら、ミカ、生き甲斐なくしちゃうっしょ。だから、もうちょっといてあげる」
 赫夜は笑った。
「そういうことだから、よろしく」
「はいはい、わかりましたよ、お姫さま」
「ミカ」
「何だ」
 かくん、と赫夜の頭が垂れた。
「腹減った!」
「おれもだ。何か食いに行くか」
「肉食いたい肉!」
「おれ魚食いたい」
「じゃあ、寿司!」
「回ってるやつでいいか」
「回ってるやつでいい」
 二人は部屋に入って着替えると、再び外へ出た。何となく手を繋ぐ。
「月に帰ったのかと思った」
 壬廉が正直に言うと、赫夜は笑った。
「月に人は住めないよ。昨日は新月だったし」
「そうか。じゃあ、お迎えは失敗だな」
「そうだよ。お迎えは満月の時じゃなきゃ」
 赫夜の手に、少しだけ、力が入った。
「あのね、昨日あっちで出してもらった紅茶、ミカがいつも入れてくれるのとおんなじ匂いがしたんだよ。だからかなぁ、こっちのことばっかり思い出してたの。こっちで暮らしたいなって思ったの」
「勿体ねぇなあ。金持ちだったのに」
「金持ちだったのにねー」
「回ってない寿司とか食べられたぞ」
「大トロとか?」
「そう。ウニもイクラも食べ放題」
「うううぅぅ、ウニ。イクラ。アワビ。本マグロ」
「何なら今から向こうの家に行くか?」
「嫌!」
 赫夜は壬廉の腕を抱き込んだ。
「わたしは上島飛雁の娘だもん。上島正治とアキの孫だもん。そんで、東条正晴と朱莉の姪で、東条壬廉のいとこだもん。それ以外には絶対ならない。お嫁に行く時も、ちゃんと壬廉に祝ってもらうんだもん。もう決めたんだから」
「嫁に行けるのかお前」
「やっちんにもらってもらう! 壬廉は新婦の父の席に座るんだからね」
 その言葉に、ふと友人の言葉が頭を過ぎった。
 思わず吹き出すと、赫夜がぎょっとした。
「何よっ」
「赫夜」
「何?」
「おれ、お前が嫁に行く時、多分泣くぞ」
「はァ?」
「太洋が、お前はおれの愛娘、だってさ。だから泣く。ガンガン泣いてやるからな」
 赫夜はきょとんとして、
「あははは、泣け泣け!」
 笑った。


 二人はその夜、並んで、手を繋いで寝た。
 珍しく、赫夜は暴れなかった。





------------------------------


 第一話にして突然主人公組別離の危機!――しかし無事に回避した模様w


 赫夜と壬廉は「家族」です 決してくっつくことはありません

(ほら、かぐや姫と帝はくっつかないでしょ?)

 血の繋がりは全くないけれど、従兄妹であり父娘であり兄妹である

 お互いワケアリな身の上だからこそ、互いを大事にし信頼し、それゆえ絆が深いのですね

 この立ち位置は不動のまま、以降の話はこの二人を主軸に基本的にのんびりまったり進んでいきます





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チーズと鶏肉でホイホイ釣られるチョコミン党員しょうゆ厨
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