日常・一次創作・その他ごった煮
一目惚れというのは本当にあるものなんだな――と、その時俺は感慨深く浸ったものだ。
しかしなぁ。
よりによって、まさかあんな女だったとは。
So bitter,so cool/01
「悩んでいるんだね」
正面に座る市松人形は、どこか楽しそうにストロベリーパフェに乗っている薄紅色のアイスをスプーンですくう。
いや、実際に市松人形がそんなことをしていたらなかなかのホラーだ。名を小柳出さつきという。俺より一つ下の高校一年生。
そして俺の彼女の親友。
「全く、若さまは熱烈なのに意外に悩む人だねぇ。何をそんなに難しく考えるの?」
この市松人形は俺のことを「若さま」と呼ぶ。俺の家は先祖が落ちぶれた元華族だか何だかだったらしいが、祖父が事業で成功して現在ではそこそこ裕福だったりするせいだ。
俺はココアに浮かんだホイップクリームをスプーンで弄る。
「もうすぐ交際一年なんだが」
「あぁ、そうだね、もうそんな時期かぁ」
市松人形はアイスを口に運んで、
「よく、今までもったねぇ!」
からからと笑う。ああ、そうだな、俺もそう思うよ。
「若さまは天然君主だし、とーやちゃんはああだし」
「待て小柳出。天然君主とは一体全体何だ?」
「ほら。そういうところがさ。わかんないかねぇ?」
「わからん」
「ほらほら。そういうところ」
こいつの言うことはイマイチよくわからない。
「それで、何なのさ? いきなりメールよこしたと思ったら校門前で待ち構えてて喫茶店に連行するなんて。これじゃあまるでデートだよ。ぼくにはアリーというれっきとした未来の夫がいるのにさ。誤解されたら困っちゃうよ。よりによって若さまとなんて」
「安心しろ、あられ兄ちゃんが俺とお前の仲を疑うなんて、万が一にもあり得ん」
「それは勿論だよ。ぼくが誤解されて困るのは、同じ学校の人たちさ。恐ろしいことに女子高というところはどんなに秘密だと言っても話が音速で広がる空間なんだよ。誰だろうね、聖テレーゼ女子学院高校が格式高いミッション系の女子高だなんて言い出したのは。女の園なんて、そんなに崇高なもんじゃないよ。女子トイレが広くなっただけだよ」
「じゃあ何でそのだだっ広い女子トイレに入ろうと思ったんだ?」
「むつきさんに『どうせだったら制服が可愛いところに入りなさい』って言われた」
「だったら、桜秀でもよかったんじゃないか」
「聖テレーゼの方が近かったんだよ」
「南恭大付属は」
「若さまみたいに賢くないもん」
俺は思う。あいつの、俺と別れようともしないところもわからないが、この何ともテキトーな市松人形が親友だというところも理解し難い。
「何よりね」
市松人形は、へら、と笑う。
「とーやちゃんと一緒の学校行きたかったんだ」
俺は、時々、羨ましく思う。
幼稚園以来の付き合いだというこの市松人形とあいつには、深い深い絆というものがあるに違いない。
伊達に十年も親友やってないということか。
俺は?
知り合って二年。
付き合い始めて一年。
到底及ばないということか。
「くそ」
思わず呟いてココアを飲むと、市松人形はにやにや笑った。
「手も繋いだことないんだってね?」
「うるさいな。俺がお前のようにしょっちゅうべたべたまとわりつくなんてできると思うか?」
「それはそうだ」
また、からから笑って、実に美味そうにイチゴを食べる。
「ぼくととーやちゃんは、ラブラブだもの。若さまととーやちゃんがそうしてるのなんて、想像つかないよ。付き合ってること自体が不思議だよね」
ふん。好き放題言いやがって。俺がどんなに苦悩しているのかわからないのだ。
何故あんなやつに惚れて、何故あんなやつに告白して、何故あんなやつに拒絶されないように気を遣っているのか。
俺はここ二年、慣れないことばかりしている。
好きだの付き合ってくれだの、言われたことは何度かある。実際に交際したことも、だ。
でも、それはいつも受身だった。
相手はいつも俺の顔色を窺って、気を遣っていた。必死だったのが手に取るようにわかった。
それが、今は俺がそういう身の上になっている。
はっきり言って、疲れる。
それなのに、投げ出すことができない自分がいる。
これは一体どういうことだ。
よりによって、あんな女に。
「でもね」
市松人形の一言で、俺は我に返った。ああ、またあいつのことを考えてしまった。俺としたことが何たる不覚。
「ぼくは、とーやちゃんと若さまは、いい組み合わせだと思ってるんだ」
「どうして」
「見てて、面白いもの」
この小娘が。
「とーやちゃんは、いつもあんなだけどさ、」
言いかけると、低く小さな振動音が聞こえた。市松人形はカバンから何かを出して、手元で弄っている。
「それでも、若さまのことはちゃんと特別な人だって思ってると思うよ。それはぼくが保証する」
「どうだかな」
「ほら」
携帯電話が差し出された。
小さなディスプレイには、簡潔なる一言。
『迎えに行きます』
「委員会終わったってメールきたから今若さまと一緒にブルー・スノウでお茶してるよってお返事したら、これだもの。少なくとも、ぼくを迎えにはこないんじゃない?」
本当に簡潔な言葉。
あいつはいつもこうだ。
話すときも、メールの文面も、これ以上あるのかと思うくらいに素っ気ない。絵文字を使ったメールなんて見たこともない。
しかも基本的に誰にでも敬語だから、尚更冷ややかに感じられる。
俺は何故そんなやつと付き合っているのか。
自分でもわからない。
「さてと」
市松人形はカバンから財布を取り出して、小銭をテーブルの上に並べた。
「邪魔者は退散するよ。これパフェ代。消費税はオマケしてね、若さまが誘ったんだから」
「おい」
「ちょうどぼくもこれから愛しの君のところに行かなきゃならないんだよ。一人取り残されたからごはん作ってくれってさ」
「襲われても知らんぞ」
「だいじょーぶだよ。アリーはあれで相当真面目さんだから、まだ当分手なんて出してこないよ。あ、ねぇ、若さま」
振り返ると、肩まで伸びたストレートの髪がさらりと揺れた。
「手を繋ぐなんて、簡単だよ。嫌がるかも、なんて考えないで、まずはやっちゃえ! 若さまって意外と奥手だよね」
言いたいだけ言って、市松人形は颯爽と去っていった。
――奥手だと?
俺が?
そんなことを考えていると、すぐ側で何者かが立ち止まる。
見上げると、市内にある高校で一番可愛いと評判の聖テレーゼ女子高の制服をまとったまさに「ちんまり」とした娘が、冷然とした大きな目で俺を見下ろしている。
「こんにちは、知妙院先輩」
眼差しと同じくどこか冷ややかな声。別に俺を侮蔑しているわけではない。こいつは元々こうだ。
「入り口でさつきさんと入れ違いました」
ついさっき市松人形が座っていた椅子に腰を下ろすと、オーダーを取りにきた店員にすかさずセイロンのストレートティーとレアチーズケーキを注文した。メニューを見なくても頼むものは決まっている。
「何を悩んでいるんですって?」
眉一つ動かさずに、相変わらず淡々とした口調で言い放つ。まるでそれが義務であるかのように。
「別に」
そう応えると、
「そうですか」
ふっ、と軽く溜め息をつく。
「あまりさつきさんに迷惑をかけないでくれませんか。何か言いたいことがあるのなら、わたしに直接言えばいいでしょう」
「直接言えばどうにかしてくれるのか」
「わたしにできることであれば、可能な限りの努力はしたいと思います」
無表情のまま淀みなく言う。
躊躇なくそういう言葉を言ってくれるのは誠にありがたく可愛らしいと思うところだが、如何せん表情も口調も冷めている。どこまでが真意なのか。いや、顔も声色も冷え切ってはいるが礼儀もなっているし誠実な人間だ。実際真意を口にしているのだろう。
これで少しでも笑ってくれれば。
もうすぐ付き合い始めて一年にもなるが、俺はこいつの笑った顔を、一回見たか見ないか。ほとんど見たことがない。
何と可愛げのない女。
それでも別れようとしない俺の気が知れない。
自分でもわからないのだ。
初めて見たときから、俺の目はこいつに釘付けだった。
別に見なくても生きていけるのに、目がこいつを見ていたがる。
何と困ったことだろう。
よりによって、こんな冷め切った女に。
俺はどうかしているんじゃないのか。
「じゃあ、試しに言ってみるが」
負けじとなるべく落ち着いた声を出しながら、俺は正面の小さな冷淡なる者を見る。
長めのショートヘア。撫でたら気持ちがよさそうだ、と思いつつ、それに触れたことは皆無。
肌理の調った白い肌に大きな目、びっしりと並ぶ長い睫毛、小さな鼻に、程よい厚さの艶やかな唇。それらのパーツから構成される顔と小柄な体、そして意外に大きな胸からなる外見を見れば、可愛い部類に入れてもいいのだと思う。いや、寧ろマニア受けする容貌だ。
ただ、どこもかしこも温度が低く見える。決して無機質なわけではないんだが。
「今日、これから帰る際に、手を繋いでもいいだろうか?」
これで手まで冷たかったら、それはそれでなかなか――なんて思う俺は、やっぱりどうかしているのかもしれない。
と、正面の小さいのは、一瞬きょとんとすると、またすぐに温度の低そうな顔に戻った。
「いいんじゃないでしょうか」
「それはありがたいことだ」
「そうですか」
紅茶とケーキが運ばれてくる。入れたての熱い紅茶を、やはり表情も変えずに一口だけ飲むと、ちらりと俺を見た。
「一年かかりましたね」
「あ?」
「手を繋ぐまで。まだ繋いでいませんが」
「……そうだな」
「貴方は二度、わたしに『付き合え』と言いましたが、その熱烈な人が手を繋ぐまでに一年もかかるとは予想外でした」
「何だ、」
言った途端、じろりと睨んで、
「かといって、勢いに任せて突き進むようだったら軽蔑していましたが」
先手を打たれた。これじゃあ冗談を言おうにも言えない。
その不満が顔にでも出ていたのか、更に被せられる。
「まあ、その辺りのことは追々。先輩がわたしのことを大事にしてくれていて、丁寧に扱って下さっているということはよくわかっていますし」
厄介なことに、こいつは俺がこいつのことが好きなのだということを他の誰よりもよく知っている。
それだからこんなことを平然と言うのだ。こいつの言うことには間違いはないが、改めて言われると何とも気まずい。
「照れているんですか?」
「うるさいな」
「わたしは貴方のそういう紳士的なところが好ましいと思っています。うちの両親の評判もいいみたいです。近いうちに食事に招くように言われました。あのお父さんに、ですよ」
「……それは、嬉しいことだ」
「都合のいい日を教えて下さい。ご招待します」
「来週の連休ならいつでも空いてる」
「了解。またこちらからご連絡します」
そう応えると、半分まで食べたケーキをじ、と見つめる。
「先輩」
「何だ」
「たまにはこんなことをしてみようかと思うんです」
ケーキを一口分、アクセサリーのような華奢なフォークで切り分けてすくい取ると、俺の目の前に突き出した。
「どうぞ」
……これは、所謂、「あーん」というやつか?
「どうしたいきなり。何を企んでいる」
「別にどうもこうもありませんよ。レアチーズは嫌いですか」
「いや、寧ろ好きだ」
「じゃあ、どうぞ」
俺が思い切って食らいつくと、眉の一つも動かすことなくフォークを引いて、それまで通り普通にケーキを食べ始める。
「どうですか」
「……美味いな」
その美味さにはいろんな意味があった。
初めてこの店のレアチーズケーキを食べた。
初めて彼女に「あーん」というのをされた。
初めてこいつにこういうことをされた。
なかなか今日はいい日なんじゃないか?
「それはよかったです」
本当によかったと思っているのかわからない顔で、呟かれる。
「こういう味が好きなのか?」
問うと、表情を変えぬまま、淡々と応える。
「ソースはブルーベリーよりも木いちごが好きです」
「ふぅん。初めて聞いたな」
「初めて言いましたから」
「なるほど」
「わたしは」
もう一口分、フォークで切ってすくう。
「貴方が初めての『彼氏』ですから、こういうことに不慣れなんです」
「ああ、知ってる」
「なので、うちの両親を参考にしてみたんですが」
顔を上げると、笑った。
「さっきのは、結構『彼女』らしいことをした気分になりました」
今までに数えるほどしか見たことのない笑顔。
ああ、そうか。
俺はこの顔が見たいがためにこいつから離れたくないのだ。
たまに見せる甘美な部分。
そうだ。確か、初めて見た時も笑っていた。
「……そうか」
だから俺は離れられないのか。
ふと、目が合うと、もう笑顔は消えていて、いつもの冷淡な表情に戻っていた。
「照れているんですか?」
「うるさいな」
訂正。全然甘美じゃない。
羽島冬夜。
空気の澄み切った、星のきれいな冬の寒い夜に生まれたからそう名付けられたのだという。
その名の通り、身を切るような冷気を持つ娘。
それが俺・知妙院諒一の交際相手――即ち「彼女」。
余談だが、思った通り、手はひんやりと冷たかった。
かの娘を家まで送り届けた後一人帰路に着きながら、「絶対零度の娘」と一部で称されているのを思い出し、思わず笑った。
<next→sweet?>
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別にハチャメチャなわけではない、ちょっと(!?)愛想のないだけ、でも笑顔が絶品の彼女と、それに一人で勝手に振り回される彼氏のお話でした
そのようなお二人さんが、これからごくごく普通のカポーがこなすイベントなどをこんな感じでこなしていくわけです
緩やかに、そしてたまには刺激的に! 刺激的って何だ何するんだここは18歳未満には比較的やさしいところだぞ!
お二人さん同様ゆったりまったりのんびり進める予定ですが、よろしければこれからも見守ってあげて下さいませ。