the Drop Down Sirius

日常・一次創作・その他ごった煮

戸谷秀平の難儀/第5話





「トダくんトダくん起きて」
 急に視界に鮮やかな金茶と深緑が入ってきた。口の端に垂れかかっていたよだれをじるっと吸い込む。
「……トダニれすおかえりなさい」
「ごはんだよ」
「う、んん」
 ゆっくり身を起こすと、頭が少しくらくらした。窓の外はすっかり暗くなっている。いつから寝ていたのだろう、缶ビールを飲みながら髪留め作りをしていたはずだが、記憶がない。
「あ、た、ま、いてぇ~……あ、今日牛丼かぁ」
「ねぇ、これ、動かして大丈夫なやつ?」
「あぁ……はい」
 謠子は秀平が空けたテーブルのスペースに袋に入ったままの弁当を置くと、空き缶を持って一旦居間を出る。秀平はまだ目が覚めきれないでぼんやりと宙を眺めた。甘辛いたれの香りが空腹を刺激する。
 と、謠子はすぐに戻ってきた。
「はいお水」
「……ありがとうございますぅ」
 ペットボトルのミネラルウォーターを受け取りちびちび飲むその横に腰を下ろした謠子が秀平の取っていたメモを見る。
「お疲れ様、今日はもう休んでいいよ。レコーダー後で借りるね」
「いや……大丈夫です、飯食って風呂入ったら多分目ぇ覚めるんで付き合いますよ。……そういや、まこ……父ちゃん何か言ってました?」
「今日優真くんと二人きりにしてきたって言ったらものすごく笑ってたよ」
「誠ぉ~笑うとこじゃねぇ~」
「あははは。……あ、あとね、これ。許可下りたから引き出しておいたって」
 分厚く膨らんだ封筒が渡される。中身は札束だった。秀平がランナーとして登録された際に預金口座が凍結されてしまったのだが、父親が手を回してくれたらしい。
「あぁ、やっと凍結解除されたんだ」
「手数料で三枚抜いたって言ってた」
「誠ぉ~息子の貯金に手ぇ付けるんじゃねぇ~……あぁ~、でも三万ぐらい借りてたっけ…………あっ、せんぱーい、借りてたお金ー」
 丁度よく居間に入ってきた平田はテーブルの上に汁椀の乗った盆を置いた。
「別にいいよ、二十ぐらいだったろ」
「三十二万です」
「たいして変わんねえよ」
「いくらあんたが金持ちだからってそういうとこルーズにしちゃダメですよ。はい」
 封筒から抜き取って渡すと平田は素直に受け取り、二つ折りにしてシャツの胸ポケットにしまった。
「結構持ってんな。SEってそんな儲かるっけ?」
「底辺プログラマはそんなでもねーですよ。施設内はあんまり食費かからなかったし、俺上着と靴ぐらいしか金かけねーから貯まるべくして貯まったとしか」
「僕の記憶が確かなら、トダくんいつも年上の彼女さんに奢ってもらってたしね」
 謠子の垂れ込みに平田は顔を顰める。
「お前ほんっとヒモ体質だな!」
「人聞き悪いこと言わねーで下さい俺は別に奢ってなんて頼んでねーですし戸谷ですし大体相手が勝手に……あ、パソコンも回収してもらえばよかった……新しいの買うかぁ」
 弁当と割り箸、サラダをそれぞれの前に置いた謠子は袋を畳んだ。
「必要なら買ってあげようか。ノート? タブレットの方がいいかな?」
「いやいやいやいや」
 ヒモ体質と言われた直後もあって、秀平は慌てて手と首を横に振った。とはいっても、
「きみもそういうの一つぐらい持ってた方がいいでしょ、こっちも連携取りやすくなる。“買ってあげる”じゃなくて“支給”って言った方がいいかな。今度見に行こうよ、折角だからいいの買おう。平田くん、次のオフ明後日だったっけ?」
 謠子もこうと決めると簡単には曲げない。随分と年下の少女に大金を使わせるということに若干の引け目はあるにはあるが、ランナーになりたての頃にもこのようにしてスマートフォンを持たされたという経緯があるので、謠子様の気が済むならまぁいいか、と己に言い聞かせる。そもそも大金といっても六桁程度では彼女にとってはした金に過ぎない。
「エロ動画がスムーズに見られればそれでいいです」
 すかさず平田が秀平の頭を叩いた。
「秀平お前謠子の前でそういうこと言うのやめろって四十四回ぐらい言ってるだろ」
「下の名前で呼ばないで下さい気持ちわりーな」
 弁当の蓋を開けてパックの紅生姜を上にぱらぱらとかけると、三人揃って手を合わせ「いただきます」。特に合わせようとしているわけではないが、長年の付き合いのせいかこういうところの息はぴったりだ。
 余程空腹だったのか、謠子が早速牛丼にぱくついた。体は細いが見た目からは想像できないくらいによく食べる。
「謠子様牛丼逃げないからちゃんと噛んでそしてお野菜も食ーべて。トダ、拭いてやって」
「戸谷です」
 平田に渡された紙おしぼりを広げて謠子の口元を拭ってやるが、謠子は気にせず食べ進める。生まれも育ちもよく普段は人前ではちゃんとしているが、平田や秀平の前では遠慮がなくなるのか、お嬢様らしからぬ動きをすることがままある。
「安河が怪しくて、怪しいと思われていた真木原のお嬢さんは怪しくない、ってなると、最初にお嬢さんを怪しいふうに言っていて、かつ安河と関わりがありそうな真木原の奥さんは安河とグルってことなんですかね」
 丸めた紙おしぼりをテーブルの脇にあるゴミ箱へ放りながら秀平がここしばらく考えていたことを漏らすと、謠子の箸がようやく止まった。
「そうだなぁ。だろうね」
 妙に冷静だ。これまでの接しぶりからみるに、真木原かず美は相当古くからの顔見知りのはずなのだが。
「あの」
「何?」
「何とも……思わないんですか?」
 謠子は視線を外して肩をすくめた。
「こんな世の中だ、いつ誰が何するかなんてわからないものさ。確かにお爺様お婆様やお母様は多少付き合いがあったみたいだけど、別段僕個人が親しいというわけでもない。寧ろ年に二回会うか会わないかぐらいの仲で親しい親戚みたいな顔で接してくるのは前からちょっと辟易していたぐらいだよ」
 突然のぶっちゃけ話に秀平は少し戸惑った。それこそ長い間かず美以上に密に接してきている自覚はあるから、謠子が心を許している相手以外に対しては非常に冷淡であるというのは重々承知してはいるが。
「そんなもんですか」
 平田に尋ねるように目線をやると、まぁなぁ、と苦笑いを返される。
「先々代は旦那様と仲良かったみたいだけど、先代とはさほどでもなかったし。あのおばちゃんが社長になってからやれはよ結婚しろ指輪買えってうるせえの何のって俺結婚しねえっつーの何度言わせりゃ気が済むんだ『知香にお友達紹介してもらいましょうか?』じゃねえよ余計なお世話だよ口挟むなよこっちはわざわざ言葉選んでやんわり断ってるだろうが察しろよあの若作りババア」
 言っているうちにイラついてきたのかだんだん言葉が荒くなり目も据わり、汁椀の中の味噌汁をぐるぐると箸でかき回しながら更に舌打ちまでする。余程かず美とは合わないらしい。この人も育ちいいはずなんだけどなぁ――秀平はサラダに手を伸ばす。
「だから偽装でも何でも身ぃ固めりゃいいじゃないですか、あんたのその身の上と年齢じゃうるさく言われるのもしょーがねーでしょ」
「俺謠子様と結婚するからー」
「うっわロリコン気持ちわりー変態最低ですねあんた」
「『およめさんになる』って言ったの謠ちゃんだもん!」
「それ僕が四歳ぐらいのときの話でしょ」
 牛丼をすっかり平らげた謠子は腹が落ち着いてきたらしく、汁椀を両手で持って美しい所作で味噌汁を飲む。
「平田くんは最近すぐ昔のこと持ち出す。年寄りみたいだ」
「嫌でも老けるわ、どっかの誰かが無茶振りすっから。……あぁそうだ、安河のことなんだけど、」
 言いかけて、牛丼を口に運ぶ動きを止める。謠子が首を傾げた。
「どうかした?」
「いや、」
 食べるのを再開して。
「まぁ後でゆっくり話すわ。資料も必要だし」
 一気に残りをかき込むと、茶ァ入れてくる、と言って台所に消えた。秀平と謠子は顔を見合わせた。


 食休みと入浴を済ませて三人が再び居間に揃ったのは、午後二十三時を回ってからだった。
 湯冷めをしないようにと夜着の上から平田のカーディガンを羽織らされている謠子は、レコーダーに記録されている秀平と優真の会話を聞き終えて停止ボタンを押すと、くは、とあくびをした。そろそろ日付が変わる。
「明日にするか?」
 平田の問いに謠子は首を横に振る。
「今夜のうちに聞きたい。明日できることがあるかもしれない」
「疲れてんだし今夜はちゃんと寝ろよ、布団敷いとくから」
「布団? 何で?」
 疑問を呈する謠子に平田は嘆息する。謠子は大抵自室のデスクやあまりスペースの空いていない床で寝てしまうので、自分の寝具を持っていない。どうしてもゆっくり寝たいときや疲れているときは平田の寝床に入る。幼い頃からやっていることだ。親子のように接しているからこその行為である。
「あのなァ、いい加減俺んとこ来るのやめろ。確かにお前は小柄な方だけどいつまでも自分はちっさいと思ってんなよ? 狭いし寒いんだよ布団横取り魔め。今年中に絶対ベッド買うからな」
「買っても僕の部屋置く場所ないじゃないか。しょうがないな、今日はトダくんのところにするよ」
 眠そうな顔の謠子は、隣に座る秀平に寄り掛かった。眠気でぬくぬくあたたかい謠子に秀平も頭を寄せる。
「やめて下さい布団横取り魔様、あと戸谷です。……あ、ダメ、これ寝落ちするやつ……」
「お前は頑張ってもうちょっと起きてろ」
 平田がぺちんと秀平の頬を叩いた。
「今日はいい子にしてたんだから寝かせて下さいよぉ」
「真っ昼間から酒飲んでどこがいい子だよ」
「二時間近くゆーまの相手したんですよ」
「謠子様だって半日大っ嫌いな施設に顔出し行ってたんだぞ」
「いいから早く話して」
 眠そうでいながらはっきりとした口調で謠子に言われ、謠ちゃんほんと最近当たりがきついなぁ、と独白すると平田は冷めかけの茶の入った湯飲みを手に取った。
「今日謠子様が施設行ってる間にいろいろ探ってきたんだけどさ。まず安河の元職場周辺。金銭トラブルで店辞めたくせにここしばらく妙に羽振りがいいんだと。よく近辺にふらっと現れてはン十万と金使っていくらしい」
「で?」
 口調ははっきりと変わらないながらもどんどん眠くなっているのか、寄り掛かっていただけのはずの謠子の体勢が、ついに秀平に膝枕をさせる形にまで崩れる。
「真木原宝飾店の金を不正に手に入れて使っているのなら別に不思議でも何でもない」
「そうだよ、その通り。まぁ安河が金を手に入れる手段は真木原宝飾店だろうさ。真木原宝飾店と安河の口座の金の動きのタイミングがお前らペアかよってぐらい合ってる。関係してんのは間違いねえ。……で、その安河なんだけど、」
 一口、茶を飲んで、続ける。
「失踪者が消えた日及びその前後、奴にはアリバイがあった」
 謠子は身を起こした。秀平も眠気が飛び、目をしばたたかせる。
「全部、ですか?」
「そ。全部。ただ、安河にはあってもその相方にはアリバイがない」
「相方って……真木原の奥さん?」
 湯飲みを置いて、それ、と言う代わりに、平田は秀平を指した。
「失踪者が最後に接触していたって目撃証言があるのは確かに知香ちゃんだ。でもそのときあのおばちゃんも近くにいた」
 テーブルの上にあった失踪者のプロフィールを数枚並べる。地方出身者のものだ。
「さァて、問題です。こいつらの容姿・年齢層・性別以外の共通点はなーんだ?」
 これまで何度か目を通している。それ以外の共通点なんてあっただろうか。
 首を傾げながら何か探し出そうとじっくり見ていると、謠子が僅かに目を見開いた。
「温泉地」
 当ったりィ、と平田は笑った。
「こいつらの居住地はメジャーマイナー問わず“温泉街”。つまり真木原親子がふらっと旅行に行く、なんてことがあっても不思議じゃねえよな?」
「平田くん、宿泊記録」
「もっちろんご用意してございますよォ、お嬢様?」
 己の横に置いてあったクリアファイルから、プリントアウトした紙を出して謠子に差し出す。該当する失踪者のプロフィールと提示された資料を見比べ確認する謠子をそのままに、平田は続ける。
「失踪者の外見が婚約者である黒宮と似てたせいで知香ちゃんの方ばかりに目が行きがちだったけど、あのおばちゃんも充分怪しいっちゃ怪しかったわけだ。ただ、真木原かず美が黒宮とひと悶着あったとして、黒宮に似た奴を襲う理由ってのが見当たらねえ。娘の婚約者に横恋慕して拗れた? そんなことあるか? 答えはノー」
「何で断言できるんです?」
「何で真木原かず美は元ホストの安河元宣とつるんでるんだよ」
 あ、と秀平は声を上げた。
「真木原の奥さんは安河に入れ込んでいた、だから真木原宝飾店の金が安河に流れてた……」
「黒宮と安河は全然違うタイプだ。黒宮は娘の男だし、あのおばちゃんの年齢層だと、優等生クンより多少やんちゃしてる方が可愛く見えちゃったりするわな。実際ベタベタイチャイチャしてるところを何度も目撃されていて、それは警察側にも伝わってる。だから容疑者から外された、ってわけだけど、」
 秀平のメモ帳を勝手に開き、空いているページに関係性の略図とワードをすらすらと書き込んでいく。この男は荒っぽい口調に反して存外きれいな文字を書く。
「これまでの様子や行動から見て、知香ちゃんが失踪者を消しちまった犯人とは到底考えにくい。寧ろこっちにヒントを与えてくれている。で、黒宮。動機がないし、よくわかんねえ謎の動きがあるにしても、そもそもこいつ自身が失踪者の筆頭だ。一番怪しいと思われていた安河にはアリバイがある――ってな具合に消去法で潰してくと?」
「犯人は真木原の奥さん?」
「ってことにならァな」
「でも奥さんにも理由がないんでしょ?」
 秀平の疑問に答えたのは、
「金銭だよ」
 謠子だった。目を通していた宿泊記録と失踪者のプロフィールをテーブルの上に戻す。
「平田くん」
「あい、真木原宝飾店の出納データ」
 先日ハッキングした際にプリントアウトしたものが差し出される。約二年分なので数枚に分けられていたが、とあるページを一番上にして先程見ていた資料の上に重ね、指で示す。
「失踪者が出始めた直後から急に売り上げが上がっている。金やプラチナは投資目的でよく売買されるものだけど、そういう貴金属はともかく宝石類がこんなに頻繁に売れるのはおかしい。仕入れだってそんなに簡単なものじゃないはずだ」
「宝石以外のものがやりとりされてるってことですか?」
 ぞっとした。失踪者と関連して、高額で取引されるものといったら体の一部――臓器等ではないのか。
 しかしその嫌な想像はすぐに否定された。
「いや、この売り上げは確かに真木原宝飾店で販売されていた宝飾品のものなんだ。店内の防犯カメラの映像とローンやクレジットの記録も見てみたけど、購入者もちゃんといてそこの辻褄は合ってる。でも――」
 そこまで言うと、黙り込んだ。

 もしかしたら、先の想像よりももっと――

「謠子、さま?」

 恐る恐る呼び掛ける。
 謠子は書類を見つめたまま、愛らしい顔を歪める。

「何故、かず美さんは知香さんがギフテッドかもしれない、なんて垂れ込みをしてきたんだと思う? ギフテッドは世界人口の約一割程度と言われている。この国の総人口から考えれば、ギフトを発現した人間の数は実際のところそう少なくはないのかもしれない……それを考慮したとしても、通常はギフテッドなんてそうお目にかかれない存在なわけだよね」
 知香に罪をなすり付けるだけなら、そんな情報はなくてもよかったはずだ。
「元々警察が担当していた事件を、キャプターに直接情報を出してきた。単に『かもしれない』という可能性の話だったら、言うのは警察だっていいはず。つまりギフテッドが関与しているのを知っているということだ。そして事件が未解決のままじゃいずれ自分にも疑いの目が向けられる、その前に無実の娘を犯人として差し出し、娘がギフトを持っているかどうか取り調べされている間に逃げようとでも考えたかな」
「あの、謠子様、この、大量に売れた宝石類ってもしかして」
 秀平に、謠子は頷いた。
「真木原かず美がギフテッドなんだ。恐らくは、人間を鉱物化する能力を持つ」



     <つづく>



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 さて核心に迫って参りました

 しかしまだ黒宮の謎が残っておりますね???


 大丈夫です回収されます





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女性
職業:
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自己紹介:
チーズと鶏肉とまぐろとホタテでホイホイ釣られるチョコミン党員しょうゆ厨
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生息:隠の里

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